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ミスチルで泣けなくなった

自分とミスチル


自分は俗に言う「ミスチル世代」である。
小学校6年生の時に「innocent world」「Tomorrow never knows」がヒットし、その後もミリオンヒットを量産し、世の中が「ミスチル現象」と時代を表現し、その後休養期間などもあったが、概ねミスチルを聴いて育った世代である。
あっという間にTOPに登り詰めてしまったため、当時中学・高校だとクラスは「GLAY派」と「ラルク派」が最大派閥として対立していたり、他にもスピッツやルナシーなど様々なバンドが好きがいたが、もはやミスチルだけは確固たる地位を築いていて、「派」という言及も起きないくらい90年代の音楽の核として存在していた。

当たり前のように、彼女と付き合うたびに「抱きしめたい」「Simple」を聴き、別れるたびに「over」を聴き、受験前は「終わりなき旅」を聴く。そんな日々を中高と過ごし、大学入ってからも「it's a wonderful world」を聴きながら通学した。その後も「シフクノオト」「I❤️U」と次々と過去最高を塗り替えて、シングル曲、アルバム曲問わず、良曲を量産するミスチルに畏怖の念すら抱きながら、信者化していった。
ミスチルのライブも「Bank Band Fes」も含めてかなり行ったし、妻もミスチルファンということも相まって結婚式も全ての曲を「ミスチル縛り」にした。
文字通りミスチル一色の人生だった。

ミスチルへの違和感

その後も2015年発売の「REFLECTION」までは何の違和感もなく、生活に溶け込み、さまざま曲が自分の人生のバイブルとしてミスチルの曲が常にそばにいた。

ミスチルの魅力はなんといっても桜井さんが綴る「歌詞」だと自分は思っている。
それは、日常の小さなシーンを誰も思いつかない、かつ独特な比喩で表現し、それが時に自分を鼓舞してくれたり、時に人生に新しい観点を与えてくれたり、時に自分のメンタルを救ってくれた。

「街灯が2秒後の未来を照らしオートバイが走る。等間隔で置かれた闇を超える快楽にまた少しスピードをあげて(ロードムービー)

「叶いもしない夢を見るのはもうやめにすることにしたんだから。今度はこの冴えない現実を夢みたいに塗り替えればいいさ(蘇生)

「いくつもの選択肢と可能性に囲まれ、探してた、望んでたものがぼやけていく(Starting Over)

その言葉の数々に共感し、時に泣きながら曲を聴いたこともある。

しかし、
「空に掛かる虹を今日も信じ、歩き続けよう(ヒカリノアトリエ)」の表現の月並みさや「himawari」「永遠」「Documentary film」のパートナーとの死別を想起させる歌詞の重さや自分との距離感の開き方に共感性を徐々に得られなくなってきた自分に気付き始めた。
今までは、軽やかなバラードには発見を伴う独特な表現が必ず入っていたし、恋愛や失恋の曲に死をイメージさせるような重さはなかった。(「しるし」が若干あったかなくらい)
そうなってくると他の曲に関しても「Your song」の行間を感じないあまりにストレート過ぎる歌詞や「Brand New Planet」の掛け言葉のセンス等様々なことが気になり始めた。

そして最近発売されたnewアルバムの「miss you」
収録曲いくつか聞いたが、人生や恋愛における新しい観点や示唆、共感性をまったく得られなかった。
もしかしてミスチル自身が新しいチャレンジとして「なんらかのコンセプト」を持って作ったのか、または自分のライフシーンの変化がそう感じさせているのか、等他の要因があるのかもしれない。

ただミスチルの曲で泣けなくなってしまったのが事実なのである。

「彩り」を初めて聴いた時、失恋をして「candy」を聴いていた時、「worlds end」を聴きながら夜ドライブしていた時、「prelude」を聴き仕事の傷を癒していた時、鬱になって「幻聴」を聴いた時。
ミスチルが好き過ぎたが故に、最近のミスチルの曲で、あの時のような感情が湧き上がってこないことに関して、かなりの寂しさを感じている。

と、ここまで書いたが、山あり谷ありの人生をなんとか歩んでこれたのもミスチルのおかげであり、その感謝は今後も消えることはない。
そして「End of the day」を聴いて今日は寝ることにする。

長文乱文ですが、読んでいただき、ありがとうございました!





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