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明日も生きることを選ぶ、ということ。

こんばんは。あと少しで2020年が終わりますね。

本当に本当にお疲れ様でした。
とても長くて、でも個人的にはいい1年だったと、大晦日の今日振り返りながら思っています。

1年のうち、好きだとは思えない自分が多かった中、それでも、いい年だったと思える日が来て、ほっとしています。よかった。

そう思えるのは、今年、自分の中で気付いたこと、得ることができたものがあったからです。

長くなってしまったけど、書き連ねました✍️

☁️ いつも「自分のせい」になるのが怖かった


これは、私の考え方のくせ。

私という人間は、思えばいつも、目の前の“いつか壊れてしまうんじゃないかってものを整えること”に
必死で。
その背景には、「自分のせいになるのが怖い」という思いが働いていたんじゃないかな、って気付くことができた。

目の前に起きる悲しみと、自分自身を切り分けるのが苦手で、境界線が脆い。

うまくいかない物事が、自分のせいになるのが怖くて、勝手に気にかけることがいっぱいで、無意識に疲れてる。

そんな自分の気質を理解することができたので、
自分も周りも嫌いにならないように、

▪️人のことを自分に背負わずに、自分の人生を生きること
▪️自分の人生の中で、人を想って生きること。

これを大切にしていこうと思っています。

そして、何かあった時、一緒に考えたいと、声を出す勇気を少しづつ持てるようになりました。

これまでだったら「相手はどう思うんだろう」と何も言わなかったこと、
最近は言ってみようとモジモジしてることもあるかもしれませんが、暖かく見守ってください😂

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☁️ 自分を許せるようになった


「悲しみでいっぱいで、こんな日々が続くなら、生きるって辛いな〜」と思うことがよくあった。

そんな気持ちを押しのけようと、何者かになりたい!!って頑張ってみたり、
自分が生きていることで嬉しそうな顔をしてくれる人を思い浮かべて力にさせてもらったり。

今年は、そんな生きることの心の拠りどころにしていたものが崩れてしまうことがあって、苦しさがあった1年でした。


そんな中、ゆっくりゆっくり休むことや、
話を聞いて欲しいと思える人がいて、ポロポロ話せたことで

“なぜもっとうまく生きれないんだろう”と自分自身を忌み嫌っていることが1番辛いんだと分かりました。
自分が自分を嫌っているのって、1番悲しくて苦しい。

でも、悲しみを感じさせてくるものにも、問題があるよね。
うまく生きれない感覚を持たないでいられる環境に自分を連れていこう。
心地よい頑張りを続けて、生きやすいと思える世界を自分で作っていこう。

生きることを続ける意味は、
何者かになることでもなく、誰かに何かをするためでもなく
ただただ、楽しむため。

これが今しっくりきている理由で、
ただただ何もしないでも生きることを、自分に許してあげられるようになりました。

自分が感じる感情を、否定しないことを気をつけるようになれました。

気付けたこと、自分なりにしっくりきている理由を見つけられたこと。
MAKERS UNIVERSITYというコミュニティに入って、
そんな話を気負いせずにできる仲間ができたおかげでした。この出会いは宝物です。

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☁️ 何もしなくていいなら、何をする?


何もしないでも生きてていいと思えた後、
これまで、「どんな仕事をしている大人になるか」をあんなに気にしていたのに、なんでもよくなって。

でも、今までやりたいと思ってたことへの思いは変わらずで、

▪️心身のセルフケア、1人で頑張るものじゃなくて、もっともっと寄りかかりながら、甘えながらできるといいなあ
▪️セルフケアの工夫を、物づくりを通して生活に溶け込ませたいなあ

って考えています。

今は、
産後のお母さんと関わることができる人になりたいな、とか
“1日の必要な水分量を無理なく摂りたくなっちゃう水筒を作りたいな〜”
なんて思ってます。

なんでもいい中でも、やりたいこと。

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今年出会って好きになった、たまに、ふと読み返すnote。

自分のこころと身体が求めて欲しているものを、ちゃんと自分がキャッチして、ちゃんと自分で手にして、自分の中に取り込んであげる

オレンジジュースが飲みたいなぁと思ったら、家にぶどうジュースがあっても買いに出かけて飲む

ここの部分がとても沁みて、大切にしなくちゃなって日々思うようになった。
ぜひ読んでみてください🍊

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「苦しいことの方が多いんじゃないかって思うと、生きるって辛いなって思うよ〜」って話したときに、
「今やりたいと思うことをきちんとやっていたら、未来も今のままだとはあんまり思ってないかな〜」って話をしてくれたパートナー。

そうだよねって、大事な考え方だなって思った。
大人になって、環境を選べるようになって、一緒に過ごす人も選べるようになって、続けていたことができるようになったりして。
そしたら、今苦しいと思っていることを、未来の自分は感じていなかったり、
変えることができているのかもしれない。

1つ1つ小さなものも、ちゃんと自分が求めているものをキャッチして、選んでいく。

そうしたら、必ず今のままではないから。安心して。

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☁️ 死を自分で選んで生きていきたい


生きることを選ぶ理由が足りなくって苦しくて、
1つ1つ増やすことができた今年。

この記事に出会うことができて、今一度死について考えた。

「生きる権利」と同じくらい「死ぬ権利」はあるし、許されるべきだって思うから。
だけど、「死ぬ」というのは、当然後悔すら出来なくて、取り消しもできなくて、最初で最後の「強制終了ボタン」だ。

勘違いするな。リセットじゃない。

「勘違いするな。リセットじゃない。」

この文章を読んだとき、それは惜しいなと思った。

選んだもの。歩んできた場所。
そこでたまたま出会えて、大切になったもの、1つずつ。
海外でたまたま出会えた友達とかね。
来世の私には集めきれないと思う。それって、すごく惜しい。素敵なものがたくさんある。

私は、これまでの思い出を大切に思ってる。

だから、このまま、繋がりと思い出に、
優しい言い訳をもらって過ごそうと思う。

苦しさから逃げる方法は、死を選ぶことが最善ではない、と思った。

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私が旅が好きで、心惹かれるのは、鮮明にイメージしたものを自分のものにできることが幸せだから。

分からないことだらけの場所に行くことは怖いけど、絵にかけるくらい、イメージできたその場所に行くことはいつの間にか、もう難しいことではなくなっていて、

あとやるべきことは、調べること。航空券を買うこと。行く日にちを決めること。本当に行く事、くらい。


死を迎える時のことも、鮮明にイメージした。
明日なのか、50年後なのか、絵は浮かばないけど、
最期に「悪くない人生だった」って思うこと、それをお世話になった人に伝えることはしたいと思う。


今日があること。
明日も生きることを選ぶこと。
明日があること。

選べなくなる日が来るから、今は選んで、今日を感じて、また選んで。
それで、最期は自分で選びたいな。


「悪くない人生だった」と言う最期に向かう。

道のりは楽しい方がいい。
日々、心地よい頑張りを続けること。
それができる環境を整えること。

宮崎駿監督はもののけ姫を通して、若者に向けて
「“憎悪と殺戮の最中にあっても、生きるに値することはある。素晴らしい出会いや美しいものは存在し得る。」と伝えたかったと。

夏頃は、そう思えるものなんだろうかって思っていたけど、
生きている間に得られる喜びを、めいっぱい感じて生きたいと、
出会えたみんなと歳を重ねていけたらと今は思ってます。



そうそう、2月くらいから歯の矯正を始めたんです。

この年から矯正をするって、健康でいたくて、もっと綺麗になりたいって思っているし、未来を楽しみたいと思ってるじゃんって、俯瞰で自分を見て笑ってしまいました、笑

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(最初の頃、めちゃくちゃ痛かった)


2021年も、私と歯並びの進捗を
見守っていただけたら嬉しいです!笑

2020年、お世話になりました。
今後ともよろしくお願いいたします⛅️

みなさま、良いお年を、、!

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