素直に謝ろう、そして赦してあげよう

最近、気になっていることがある。いろんな人が問題行動・発言を取り上げられたときに食えない言い訳を繰り返していることである。その例を挙げてみよう。

菅総理

GoTo政策の停止を発表した後に高齢者の会食に参加したことを報道され、

「ご挨拶だけで失礼しようと思ったが、結果的に残って話をした。大いに反省している」(菅総理)
「5人以上の会食を一律に(止めてと)申し上げてはいない。強制力があるわけもない」(西村大臣)

石破氏

緊急事態宣言が一都三県に発出された日に、福岡県で飲酒を伴う多人数の会食に参加していたことが報道されたのに対し、

「全体で約3名ずつの席が3つあった。今回、福岡に伺ったのは講演のためで『会食』のためではない。企業における講演後、福岡泊だったので夕食を取らせて頂いた。少人数でのプライベートな食事で、『会食』との認識はない。その食事においても感染拡大防止に細心の注意を払った認識である。(この食事の場では)特段の意見交換はない。講演後に予定されていた大人数での『会食』は中止とした」

→後日、

「政府からのお願いで苦しい思いをしておられる国民の皆様への十分な配慮が足りませんでした」

茂木健一郎氏

共通テストでマスク着用指示に従わずに不正行為を認定された受験生に対して

「鼻出しマスクの受験生の答案を無効にして試験官は何を守りたかったのか?」「杓子定規のロボット試験監督による人権侵害だと私には思える」

→翌日

「繰り返し畳み掛けるように注意されると、追い詰められたような気持ちになって非典型的な行動に出る方は年齢に関係なくいらっしゃると思います。試験官側は、複数回注意して効果がなかった時点で、受験番号を控えて後に事情を聞くなどの対応をとるべきだったと考えます」

武田総務相

KDDIの料金プラン発表について

「最安値」と言いながら結局同じ値段であるということについて、(KDDIには)もっと分かりやすいやり方を考えていただきたいというのが、私の気持ちであります。」
→「(報道関係者向けの記者会見の席で)“最安値”という言葉を使われたので、これは非常に消費者にとって誤解・誤認を導くようなことではないかと懸念した」

蓮舫氏

国会での菅総理の所信表明演説に関してのTweetで

「今日午後、衆参両院で菅総理が原稿を読み上げられますが、どれだけの思いを込めた話し方をされるのか」

不適切との指摘に対し

「内閣総務官室に確認、取り扱いに関するしばりは特段なく、便宜上配布するとのこと。本会議、予算委員会、各委員会での質問に不可欠な原稿です」と弁明
→最終的に立民の吉川沙織野党筆頭理事が「こうしたことが発生したことは、誠に申し訳ない」と頭を下げた。

やってしまったこと、言ってしまったことは仕方ない
→どう前向きに伝えるか?

そもそも、これらの責任ある(中には責任がないので言う必要がない人もいるが)方々が、こういう指摘をうける言動をするのかというのは別に考える必要があるが、ここで指摘したいのは言い訳が自らを正当化できるレベルにないということである。発言者は無謬で完全な人格を維持するために正当化する必要があるというのは北の方の国の指導者であればともかく、今の日本では当てはめるべきではない。やってしまったこと、言ってしまったことは仕方がないのでそれを前提にそれぞれの立場においてどういう前向きのメッセージを出せるかである。

菅総理は
「今回の会食は自粛すべきものであったと反省している。申し訳ない。」
と素直に謝れば良かった。付け加えるとすれば
「挨拶だけと思っていたが、集まられた方々に失礼に当たると思って会食に参加してしまった。国民の皆さんも成り行きや配慮で会食に参加されるケースもあると思うが、感染拡大防止の観点から勇気をもって断固とした行動をとっていただきたい。今回、私はその点の考えが足らなかったので今後はしっかりと実践していくとともに周りの方々のご理解もいただけるように努めていきたい。」
とでも言えば良かったと思う。

石破氏は最初に「会食」の定義を取り上げることでさらに状況を悪化させている。証人尋問において証人に弁護士がアドバイスするときにはこれは正しい対応である。しかし、ここで考えるべきは法律の適用の問題ではなく、どういうメッセージを政治家として発信できるかである。
氏が今後の政治生命をしっかり考えているのであれば向き合うべきは有権者、国民でありその観点では
「支援してくださる人からお声がけいただき、そのお気持ちを嬉しく感じたので参加した。本来であれば緊急事態宣言の趣旨も踏まえてこのような会合は中止いただくべきだったと反省している。私のためにお集まりいただいた方々にもご迷惑をおかけしたと反省している。」
とでも言えば良かったと思う。

自分の正当化を付け足さない

茂木健一郎氏に至っては、単に事実確認が不十分なままで発言してしまったのだと思う。そもそも茂木氏がこの件について発言する資格もないと思うのだが、報道に無責任に反応して発言してしまったのに対し、その後の報道で「6回も警告していた」とか「別室受験を指示されても抵抗し周囲に迷惑をかける状況だった」といった事実が出てきて、それでも受験生の”脳科学的?”分析を付け加えて正当化しようとしている。茂木氏ご推奨の対応については、それ以上のことを現場の監督官は実施されており、茂木氏の議論は的を射ていない。
「マスク着用において不正行為と認定された受験生の件については、その後の報道等の事実を見ると試験監督側の対応も致し方ない範囲にあると理解しました。申し訳ありません。」
と訂正すれば良いのである。そこで「繰り返し畳み掛けるように注意されると、追い詰められたような気持ちになって非典型的な行動に出る方は年齢に関係なくいらっしゃると思いますので受験生がこのような行動をとったことへの理解も必要だと思います。」とでも付け加えたいところであるが、そこはグッと飲み込んで訂正で留めておくべきであろう。事実・発言が不適切であったということについてはそこに至る動機は意味をなさない。言っても無駄だし、負け惜しみで自らの価値を下げるだけである。

武田総務相についても同様の事実誤認型であるので、素直に訂正すれば良い。
「携帯電話で通話をあまりされない利用者がおられると言うことへの配慮が足りなかった。利用者に多様な選択肢を提供されていると言う意味で評価させていただきたい。」
とでも取り繕えば良いと思う。なお、いくら首相肝入りの政策とは言え民間企業の価格政策について政府がコメントすること自体不適切だと思うし、実際に迷惑を被っているのは楽天モバイルなのだが。

素直に謝ったら、赦してあげよう

最後の蓮舫氏に至っては、自ら謝罪も訂正もしていない。この方は他人の揚げ足を取り、批判をすることでしか自らの存在価値を出せていないように見受けられるが、こういうときには素直に「不適切な投稿でした。申し訳ありません。」と謝罪してことを収めるべきである。自らを正当化しようとして「内閣総務官室に確認、取り扱いに関するしばりは特段なく」と非公開の義務がないことを弁明しているが、問題とされているのは義務違反ではなく適切な行動かどうかと言うことなのだから恥の上塗りになっているということの感覚が政治家として必要だと思う。さらに蓮舫氏は菅首相の言い間違えなどについても指摘しているが、原稿を持っているのであればさらに大した問題ではないと思うのだが。

最後の蓮舫氏に代表されるように世の中は失言や問題行動に過剰に反応しすぎていないだろうか?どんな些細なことでも誰が何を言おうと突っ込みどころはある。インターネット放送のインタビューで菅総理が「ガースーです」と挨拶したところが批判されているが、あのインタビュー自体はフォーマルな記者会見とは違った雰囲気を作っていつもとは違う層にメッセージを伝えようという試みだったのだから、総理がネット民に対しておもねること自体はそれほど悪いことだとは私は思わない。成功したかどうかは別であるが。個人的には総理大臣たるもの十八番のギャグやフレーズの一つぐらいは持っていたほうが良いと思っているが(「ご指摘には当たらない」というやつ以外でお願いしたいが。)今の時代、このnoteも含めて様々な人たちが自分の意見を表明するのが非常に容易になっているので、何事にも批判的な意見に出会すことになる。しかし、それにいちいち取り合っていては本質を見失ってしまう。重大でない不適切な言動に対しては反省が見られるのであれば赦すという文化を作ろうではないか。それによって皆がもっと率直な意見交換ができ必要な協調・協力も行えるようになるだろう。もちろん陰で鼻で笑ってあげればいいし、無理な自己正当化に固執する人たちには正当な鉄槌を選挙やその他の手段で下せば良いだろう。


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