また会いたい人

私は悔いている事がある。それは大学の頃の友人AとBにもゲイであると伝わった事だ。そしてAとBには自分が精神的に不安定な時に迷惑をかけた事だ。
AとBとは大学の部活で一緒だった。AとBはスポーツも勉強もよくできて自分の憧れだった。AとBと私は大学のキャンパスが一緒で部活でしばしば行動を共にした。私の代の部活は運営の代になった時物凄く揉めた。私達は部活のあるキャンパスの学部ではなかった。蒸し返すつもりはもうないけれど色々あった。それでより仲良くなれたと思う。AとBとは大学を卒業してもちょくちょく出かけたりしていた。うつ病になっても変わらず接してくれた。特にBは泉佐野まで様子を見に来てくれたのを覚えている。またいつでも会えると思っていた。Aと最後にあったのは2019年の夏 難波で写真展を見た時に会った。Bと最後にあったのは2020の秋 アウトレットに一緒に行った。三木に住んでいた当時、Bとはちょくちょく会っていた。辛い事が多くコロナ禍だった三木で数少ない楽しい思い出だ。そこからうつ病が悪化し転職し、和歌山に戻りADHDと分かり、全てが嫌になってやけくそを起こしてツイッターに突然ゲイとカミングアウトした。きっとカミングアウトした事で今まで一緒に過ごしてきた時の数々の私の行動や言動に嫌悪を抱いたのだと思う。またうつ病が最も酷い時にメンヘラチックなLINEを送った事も愛想を尽かしてしまったのだと思う。言った言葉は取り消せない。今自分は那智勝浦町にいる。AとBとは遠く離れてしまったし、休みの日も違うのでこの先会うことはもうないかも知れないけれど私のnoteは読んでくれているとの事なのでここで今まで迷惑や不愉快な思いをさせて申し訳なかった事と、色んな所、九州や北海道や香港や上高地に行けてとても楽しかった事を伝えたい。

 Cは大学の寮で一緒だった。お洒落で社交的でこれまた憧れていた。彼にはかなり早い段階でカミングアウトした。カミングアウトしても何も変わらなかった。彼は大学院生の時に栃木に遊びに来た。変わっていなかった。それから時が流れて、ADHDと分かり会社をやめざるを得ず、ハローワークから障害者手帳の取得を進められ、人生で1番落ち込んでいた時にとても親身なメッセージをくれた。Cは結婚して遠く離れた場所にいるのでこれまたなかなか会えないけれど、困難な事もお互い乗り切っていきたい。

 Dは部活の2つ下の後輩。とっても天然で愛すべきキャラ。彼は年に一度必ず元旦に明けましておめでとうLINEをくれる。彼はいつかADHDと共に生きていける日が必ず来ると言った。まだ自分はADHDに振り回されているがその日が来ると信じている。

 最後に私は人付き合いが本当に下手だ。ゲイではない友達は片手で数えるぐらいだ。ゲイの友人もこれまた片手で数える程しかいないが、ADHDの事はまだ誰にも言っていない。私と一時期でも仲良くしてくれた皆様。どうもありがとう。お元気で。
疎遠になったのは自分が悪く色々申し訳なかった。
 またどこかで会えたら嬉しいです。その時までにはADHDをコントロールして普通の社会人になっていたいな。


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