忘れられない言葉 

「辞めたら神戸製鋼?」 
これは母が言った言葉 2ヶ月不眠症だった私。とにかくうつ病で眠れないし神戸製鋼所を辞めて楽になりたいが大きな会社をやめたくない気持ちで悩みに悩んでいた時に言われた言葉だ。言われた次の日に退職を申し出、受理される。その後帰宅し2ヶ月ぶりにぐうぐう眠れた(笑)

「生きてる?」
これは友達のN君が言った言葉 N君はいつも私の期待を裏切らない。大学時代にオカマバーに一緒に行ったり、風俗へ行ったり(笑) 彼は風俗にはまって単位を落としまくった猛者である。N君は就職浪人をして某大手インフラに就職したが、肌に合わず、半年で退職、その後8ヶ月無職をエンジョイした。私がうつ病で休んでいる時、彼も休職していた。その時彼から来たラインである。この後、2人で遊んだり栃木まで遊びに来てくれた。その後彼は無事再就職し、コロナ禍を迎え、4年間会わなくなり、連絡も途絶えるのだが、昨年10月に連絡がありその時の第一声も
「生きてる?」(笑)

「もっと自分らしく生きてよか!」
これは鹿児島で出会ったゲイのHさんに言われた言葉
会社での話やADHDの話を飲み屋でして天文館をぶらぶら歩いていた時、もっと遠慮せずに自分を出して生きれば良いとアドバイスをくれた。鹿児島弁はいつ聞いても素敵だ。  

「お前が死んだら俺は悲しい」
これは大学の学部の同級生K君の言葉。うつ病が最も悪くその時勤めていた会社から退職勧奨を受けた時、死にたいとラインした時に返ってきた言葉

「いいじゃん!」
これは大学の学部の同級生I君の言葉 彼とは再履修の授業で仲良くなった。再履修飲み会がとても懐かしく感じる。彼はどんな時も私の言った事を肯定的に捉えてくれる。これは今の会社でお金を貯めて旅に出たいと言った時に返ってきた言葉

こう見ると私はいつでも友人に恵まれている気がする。

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