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「琉装で結婚式」のルーツを考えた

“#ちむどんどん反省会”というハッシュタグが生まれるほどに、“まちがいさかし”ゲームとして楽しまれているNHKの某連ドラ。「’70年代の沖縄の結婚式の花嫁衣装が和装」という正しい歴史考証まで、「沖縄の結婚式は伝統的な琉装です」と否定されてかわいそうだった。まあ若い人や本土の人であればそのような歴史認識も仕方がない。

ただ同様の誤解をしたツィートに『パイナップルツアーズ』の『春子とヒデヨシ』の結婚式シーンのスチルが、例として貼り付けられていたので、他人事ではない展開になり、変な責任感を感じたので、記憶を辿ってあの頃を思い出してみた。

僕の認識では沖縄の結婚式で琉装が着られるようになったのは’80年代後半くらい。『パイナップルツアーズ』のちょっと前くらいだ。それで思い出したのだけど、『パイナップルツアーズ』の準備中に中江監督が結婚式の場面を琉装で撮ると言った時、僕は内心「あざといなあ〜」と言う感じの印象だった。なにしろ中江監督は伊是名島の風習を念入りに聞き取り調査していたので、なぜ琉装なんて流行に乗っかるのか?と、不思議だったのだ。たぶん自分の肌感覚としてはあり得ない選択だったと思う。

ただそう言うことを照れずに、そこから沖縄らしさを抽出し、虚実入り交じったチャンプルー映画として仕立て上げるのが、ナイチャーである中江監督の強みだと思ったので、そこはガタガタ言わないようにしていました。実際、映画はかっこよくできあがっていて、おもしろくなったと思います。

話を元に戻しましょう。琉装結婚式のルーツです。

まず'70年代には、琉装で結婚式をするなんて話は聞いたことがありませんでした。僕の集めた8ミリ映画にも和装、洋装のみです。あのころあのような衣装が見られたのは、琉球舞踊や沖縄芝居、あるいは首里文化祭や辻のジュリ馬などで行われた古式行列のコスプレなど。でもこれらは結婚式とは直接の影響はなかったと思います。だってあの頃はそんなに沖縄文化に対する沖縄の人々の意識は、それほど大きくなかったし、みんなが気軽に借りて着るようなものでもなかったから。

でもこのコスプレが気軽に楽しめる分野がひとつだけありました。それは守礼門や万座毛などで行なっていた観光客向けの記念撮影と、その貸衣装のサービス。おそらく復帰の少し前くらいから始まっていたのではないでしょうか。僕はこれが結婚式場に引き継がれ、定着したのが始まりだと思っています。ではどのように?

'80年代はそれまで公民館や貸ホールであげていた結婚式が、専門の結婚式場で行われるようになっていく時代でした。そしてバブル景気の狂騒の中、結婚式場ではレーザービーム演出や、ゴンドラによる入場、そして執拗なまでのお色直しなど、様々な趣向が生み出されました。もともと盛大な余興で知られる沖縄の結婚式が、その流れに乗らないわけはない。さらに言えば、記念写真の業者と結婚式場はとても近しい間柄なのです。

そこで、あくまでも仮説ですが、きっと誰かが「この衣装で、琉球の王様と王女のコスプレってウケるんじゃないかな?」と、考えたりなんかしちゃったんじゃないでしょうか。つまりは琉装の結婚衣装は、観光客向けのサービスとして始まり、バブル時代の余興として採用され、郷土愛が強く、余興大好きの沖縄人気質にピタリとハマった。やがて時代を経て定着して現在に至る!…というのが真相ではないでしょうか。くどいようですが、これは僕の仮説です。

でも本気で探せば、どこかの結婚式場の重役とかが、「最初にやったのは僕です」とか証言してくれるのではないだろうか。誰かこのネタを取材して、この仮説を証明してくれたりすると嬉しいですが、ハズレでも、それはそれで興味深いものです。

追補〜これが真相か!

早速ですが、いったん記事をアップしたあとに、雑誌「モモト」編集長、いのうえちずさんから重要な情報が届けられました。なんと10年くらい前の「モモト」の記事で、最初に琉装を取り入れた方のインタビューがありました。以下に引用します。

「昭和58年(1983年)、神宮會館の屋宜妃出子さんは全日本婚礼美容家協会(全婚)から世界大会へ派遣されることになった。この時、琉装の着付けを披露したら大好評。その頃、沖縄から唯一世界美容家協会(ICD)の一員となった。昭和62年(1987年)、全婚の沖縄大会では、琉球王府時代の花嫁行列を再現した美容ショーが大評判を博した。このノウハウを本業に活かし、沖縄で初めて琉装へのお色直しを商品化したのが妃出子さんだ。〜中略〜波上宮での神前挙式後、お色直しは琉装というプランは、神宮會館の目玉商品となった。」

ということで神宮会館という結婚式場の老舗でお勤めの屋宜妃出子さんが発案者。それもなんとなく取り入れたというより、作品として発表の後に、商品パッケージとして売り出したという、非常に明確なルーツがあったのでした。

この頃はまだ儀式としての結婚式では和装(神社前提の話ですが)で、琉装が登場するのは、くだけた雰囲気の披露宴。礼服として一番手になるには、少し時間がかかったのでしょう。…と、少し負け惜しみ的な言葉で締めさせていただきます。

モモト 公式ページ


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