『ヴィヨンの妻』太宰治
太宰治の作品はこれまで、あまり読んでいませんでした。
代表作『人間失格』を中学2年時に読み、文から滲み出る暗さに衝撃を受けました。
その当時の感性では理解できないものがあり、
本棚の奥にしまい込んだ記憶があります。
それからというもの、
太宰の作品=陰湿
という固定観念ができてしまい太宰の作品は遠ざけてきました。
それから時が経ち21歳になったほんの数日前。
太宰治の『ヴィヨンの妻』を帰省するバスの中で読みました。たまたま下宿先にあって文量もちょうど良さそうだったので。本当に何気なくです。
読み始めるとしかし、驚くほど内容が自分の中に入ってきます。気づけばノンストップで読んでしまいました。
作品の舞台は終戦直後の東京。
大酒家でネガティヴな夫と、それになんとか寄り添おうとする明るい妻の姿が対象的に描かれています。
(ネットの拾い画です)
とてもとても暗い時代。悲哀な色合いが強まれば強まるほど、強く生きる女性の姿が美しく感じられ、とても印象的でした。
最後の妻の
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きてさえすればいいのよ」
という言葉が本当に重い。
2019年において何不自由無く暮らす自分には、この言葉の本当の重さは一生かかっても感じられそうにありません。
『ヴィヨンの妻』はものすごく自然に自分の中に入ってきました。人は出会うべきタイミングで出会うべき本に出会う
と誰かが言っていましたが、そんな体験ができたのかもしれません。
太宰の作品は完全に食わず嫌いでした。
ただのネクラじゃなかったんだね。
これから色々作品よんでみ.......
あートカトントントカトントン
もう書くのやめます。
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