20200910

9月も上旬が終わります。やったねえ。

仕事に行かなくなってから毎日が過ぎていく実感と、季節がわかるようになった気がします。仕事って健康に悪いなあ。

早く実家に帰って母の手料理が食べたいです。母といえばなんですけど、私がいっとう恵まれていたことといえば、家族が鬱にとても理解があることです。というか、父がむかし身体の病気と鬱を併発して、じっさい心療内科だか精神科だかに通っていたらしいのです。今は身体の病気の方と向き合いつつなんとか働いていたりします。言われてみれば小さい頃の記憶のなかの父は寝てばかりいて、ろくな思い出がありません。強いて言えば家族旅行によく行っていた記憶があるのですが、あれもよく考えれば父の療養を兼ねていたんだとおもいます。

沖縄によく行きました。楽しかった。沖縄の海はうつくしいです。わたしの感性をつくったのは沖縄の自然と暑さ、いくらわがままを言っても許された旅行の浮かれぐあいです。一生あの暑さと浮かれぐあいのなかにいたかった。一生子どもでいたかった。学校をやすんで旅行にいきたかった。死ぬまでにもう一度あの暑さとあの浮かれぐあいに満たされたいです。沖縄の青い海をみたいです。だから、今は死んでいられません。死んでいられないことはわかります。でも、どうしたらいいのかはよくわかりません。

両親は休めといっています。会社の人も。でも、休むっていったってほんとうにぜんぶなにもしなくていいわけじゃないでしょう。わたしのかわりに息をしてくれないでしょう。こんなに体が痛いのに、だれもかわってくれないでしょう。くそです。予約が取れないメンタルクリニックの、てきとうな受け応えの電話番もくそです。よのなかのわたしがすきなもの以外、わたしがすきなひと以外、ぜんぶくそです。

話が逸れました。

つまり、心をぶっ壊しても家族はかえってくる場所になってくれています。これはうれしいことです。ほんとうに。帰る家があります。なんて恵まれているんでしょう。強いて言えば、とにかく歩いて行ける場所にコンビニもないような田舎ですが。それでも、よかった、職をうしなってしまったらすべておわりになるような立場ではなくて。

大甘ちゃんな人生なので、まわりに甘えて生きていってなんぼだなあとおもいます。とくに家族なんか。そもそもわたしが生まれてきたのはわたしが望んだことではなく、両親のエゴなので、それは責任をとってもらわないと困ります。なーんてねウソウソ。理解があって、あたたかく迎えてくれる両親が大好きです。なさけない娘でごめんねっておもいます。楽させてあげたかったです。でもそれはフリーターやってる兄も一緒なので、責任の所在なんかどこにもないのです。ただ生きていれば大丈夫なのに、誰かが不幸のレッテルを貼るのです。明日のご飯があればそれでいいはずなのに。

人間社会くそくらえ。居もしないどこかのだれかをわたしは一生恨みます。そうして文章を書いて生きていく。

今日は後輩に通勤定期解約につきあってもらう予定でしたが、夜ねむれなくて、さっき起きたので、ドタキャンしました。後輩はやさしいので明日でもいいですよって言ってくれた。でも散歩くらい行った方がいいですよって言われた。食いもんと飲みもんのためにスーパーいく。


20200910

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