無職になりました。20200907

無職になりました。

正確にはまだ、仕事を休んでいる状態ですけど。

たぶん無職になります。仕事場に行ける気がしないので。


おもえば就活のときから、じぶんはなんでいまここにいるんだろう? じぶんのからだは自由なのだから、いまこうして、「いるべき時間」に「いるべき場所」にいることなんて、ただ外的要因によるものでしかないんだから、ほんとうに自由なら、いますぐどこかに逃げ出したって、死ぬわけじゃないよなあ、と思うようになりました。いますぐ電車に飛び乗って実家にもどりたいなあってぼんやり考えながら仕事をしていました。精神だけが、ひりつきながら、どこか遠くにいました。たとえば、あてもなく乗った電車をふらっと降りたら、目の前に海がひろがっている小さな駅とか、そういうありもしない、行ったことなんかない場所とか。あるいは、家とか。家にいたって、明日の仕事のこと、きょう犯した些細なミス、不機嫌な上司、仕事で会う不特定多数、そういうことばかり考えて落ち着いたことなんかなかったのに。ずっとどこかに帰りたい、どこかに逃げ出したい、そう思っていました。仕事できないし。私なんかいなくたって、会社も店も回るし。っていう……。

仕事が、なんの因果か、ドラッグストア勤務で。

どうしてずっと教室の隅で本を読んでいたようなわたしが肉体労働を選んでしまったのか甚だ疑問なんですけど、それは、就活のやり方を根本から間違っていたからなんですけど。そこはもうやり直せないので、どうでもいいです。どうでもよくはないけど、いまでも悔しくて叫び出しそうです。就活も精神を病んで投げ出しました。これはふつうに甘かったです。大甘です。いまも投げ出して実家に逃げるので、大甘なんでしょうけど。

仕事の話に戻ると、4月からほんとうに激務で。まいにち走り回って。いままでの人生ではあり得ないくらい。マスクはありませんし消毒液もありません、ハンドソープもありません、うがい薬もありません。聞く前に探してください。

走りました。とにかく。汗をかきました。とりあえず4キロ痩せました。いっしょうけんめいやっているのにミスをしたらいっぱい怒られました。さじ加減が上司の機嫌に左右されていました。合わない仕事を選んでしまった自分が愚かだったんだなあとずっと思っています。だから辞めるんですが、無駄に体や精神を削ってしまったので病院にかかるんですが、ほんとうに自分だけが悪いのかなあって考えています。

もともとどんくさいし、ものとの距離感とか、からだのうまい動かし方がわからないので、仕事でまいにち青痣をつくりました。痣って青いうちはきれいなんですけど。なおりかけの黄色くなった痣にまみれた手足は汚くて。これが一生続くのかもしれないとおもうとおそろしくなった夜が何度もありました。シフトが不規則で、遅番の次の日に早番だったりすると、寝不足で、ミスばかり起こして、あっ、死にたいかも、って思ったりしました。これはまだライトになんですけど。

9/4、夜、遅番勤務で水分補給を忘れるくらいに働いて、気付いたら頭が割れそうに痛くて痛くて、ペットボトルのアクエリアスと麦茶を一本ずつ飲んだけど、治らなくて、空腹なんだとおもって、アイスをたべたけど、治らなくて、いそいで家に帰って、帰りの電車のなかで時間が永遠にかんじて、家についたとたんにトイレに飛び込んで吐きました。どれだけ吐きそうっておもっても家のトイレでしか吐けないじぶんが情けなく思いました。そのまま1時間ほど太い血管のある部分に氷をはさんで寝そべっていたらなんとか回復したけど、本当に救急車をよばないと死ぬかもしれないとおもったし、駅で駅員さんに気分が悪いと訴えれば独りで苦しまずに済んだかもしれないとおもいました。すこし泣きました。それから回復したから、たのしみにしていたドラマをみたりして、3時間ほどねむって、それで朝早くめざめて、そこから出勤するのがいやでいやでいやでたまらなくなり、そこでなにかが切れました。

0か100のにんげんすぎて、いまおもうとほんとうにバカだなあとおもうのですが、辞めよう、としか考えられませんでした。就活投げ出していつか辞めるいつか辞めるとおもいながら働いていたのですけど、案外早く辞めるときがきたんだなあとおもいました。でも辞め方がわかんないから、じゃあどうしよう、ってなったとき、死ねばいいのかなあとか冗談っぽく頭の中の自分がいうので、これは本気で死にかねないとおもったので、すぐ母親に泣きながら電話しました。母親に電話するときはたいてい泣いています。就活のときも2、3度、大泣きしながら電話しました。母親はけして厳しいことを言わなくて、申し訳なくなります。生まれて来たことがまちがいだったなあってずっと思っているんですが、母がわたしを産んだことを否定したくはないです。やさしい母を否定したくないから。やさしすぎるせいで、こんな甘いにんげんが育ってしまったのかもしれないですけど。でも私の人格形成は、母だけの責任ではないので。

母と相談して電話で上司に一切勤務できない旨を伝えました。いま人事部などに連携してもらっていますが、どうせ退職になるでしょう。今週末にはいちど実家に戻ります。せめて体が安心できるように。

コロナ禍が容赦なく人生を通り過ぎていっています。急にもう仕事場にいきたくありませんって言ってしまったので、これから仕事があるかもわかりません。このさいなんでもいいって焦って選ぶとまた同じことの繰り返しになってしまうのかもしれないので、むしろ今以上にダメージになって本当に社会に出られなくなってしまうかもしれないので、慎重になりたいけど、選べるのかすらわかりません。実家もわたしもお金はないし、そもそも借金があります。奨学金っていう。あれはなにもわかっていない高校生や大学生をだましてお金を貸しているシステムです。実家の経済状況っていうものを人質にとって。

これからどうなるかわかりません。漠然とした不安があります。それでも死は最終手段なので、最後までとっておくつもりです。田舎にかえったら自然もあるし、いいことがあるかもしれないので。地元の友達は遊ぼうって明るく笑い飛ばしてくれています。なにも死ぬことはなくて。何も死ぬことはないんですよ。何を食べても胃が痛いけど、寝ても寝ても眠いけど、いちにちのあいだに鬱と躁がなんどもまわるけど、死ぬことはないんです。きらいな職とおさらば。次はすてきな仕事があるように祈っています。どれだけどん底でも、文章を書くことはやめません。これが無くなったら、もうわたしに価値はないからです。どん底とはおもっていません。きっとまだぜんぜん恵まれてるとおもいます。しらんけど。

こんなものは、ただの覚え書きです。あとから読み返して恥ずかしくなるでしょう。未来の自分ざまーみろ。

20200907

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