過剰な「自責」の弊害
お久しぶりです。あかねです。
最近言語化能力が芳しくなく、半ば練習のつもりで夜中にこれを書いています😌長くなってしまいましたが、、( ; ; )
ともあれ早く寝たほうがいいですね😌
「何かがあった時、全て自分のせいにすることでその場を収めることができる。」
かなり極論かもしれないが、こう思っている人は少なからず存在するのではないかと考えている。そして、友人との会話の中で私自身もこのタイプの人間に近い傾向を持つことが分かった。21年生きてきて、感じてきた辛さややるせなさはこの考えから来ていたのかとも思える。
こう思うようになったきっかけとして、今までの友人との度重なるいざこざが含まれるだろう。私が悪かったところも度々あった。例えば小学生の時には、1人の友人を独り占めしたいが故に他の友人を蔑ろにしてしまった。また、中学生の時には、クラス内における「いじられキャラ」としての立ち位置に耐え切れず、執拗な「いじり」をしてきた友人の悪口を周囲に言いふらすなど、様々なことをし、様々な人を傷つけてきた。
しかし、中学生の時の揉め事に関しては相手サイドにも明らかに悪い点があった。詳細は省くが、当時調停して下さった方は双方の話を聞いた上で、あくまでも責任は私にあるとした。先にも述べた通り、私は7〜8年経った今でもどうしても、原因が私のみに一存するとは思えない。また、それにも関わらず、物言いは悪いが、私が全て悪いことにされたことに対し、当初は苛立ちと虚しさの感情で埋め尽くされていた。そして、それがいつしか「取り敢えず謝っておけば揉めることもないしその場は収まるしこれがいい解決策だ」と、半ば諦念のような考えを持つようになった。
そしてこの考えは高校時代の部活動での出来事からさらに固定化されていった。当たり前のことではあると思うが、私が所属していた運動部では、ミスをすると怒号とまではいかないが何かを言われるような環境であった。
もちろん私もミスをかなりしていたので、先輩やコーチからの注意が飛んできた際、反射的に「ごめんなさい」と言っていた。それを1日何度も。
そして、「ごめんなさい」が口癖になってしまった。
非常に便利な言葉だと思う。責任が自分のみにあろうと無かろうと、全部自分に依拠させることで、相手を宥め、場を収めることができる。
しかし、面白いもので初めはある程度機械的に言っていた(心のどこかに上記のような考えがあるかもしれないが)謝罪が、何度も口に出しているうちに、
全てのシチュエーションにおいて「自分が全て悪い」という思考(前提)を作ってしまった。
そんな前提の元で揉め事にぶち当たったらどうだろうか。
その時に起こった事実を見ずに、全て自分のせいだ。と不本意に自分を責めてしまうようになる。また、事実を見たとしてもそれを自分が悪いという方向に捻じ曲げて解釈してしまう。
明らかに当人に100%責任がある場合は自分自身を責めることは必ずしもおかしなことではない。
また、自分を責め、その過程で反省点が浮き彫りになることによりそれが自己成長に直接繋げられた場合、「自責は悪である」と一口に言うこともできないだろう。
しかし、相手にも少なからず何かの過失があるのにも関わらず(たとえその比率が相手:自分で1:99であったとしても)、「自分の方がたくさん悪いことをしている」=「自分が悪い」と考えるのはいかがなものか。言い方は悪いが、その時起こった出来事を客観的に考えることを放棄して全て自分に責任の所在地を置くという、いわば「楽」をしていることと同じではないか。この「楽」は場を収めなくてはならない時には効力を持つ。言い換えるとその時にのみにしか効力を持たない。なぜならこれは、何度も積み重ねていると「全て自分を悪者に」する過程で自分の粗探しをし、その結果として自己嫌悪に陥るという「毒の無限ループ」へと変化してしまうからだ。
どうしても説明口調にはなっているが、これは私自身最近気が付いた、というより友人に言ってもらったことである。冒頭にも述べたが、私も今まで懐柔策としてこの「自責」を利用して「楽」をしてきた。そして、私にしかない美点まで「その相手にとっては良くないことなのだ。」と捉えて強制的に潰そうとしてしまっていた。
これを続けるということは、自分には何も取り柄がないと自分の脳に植え付けているようなものである。この思考のせいで精神状態が不安定になるようになる。そして、その度に周りにも多大なる迷惑をかけることにもなるのだ。
何かが起こった時に自分が全て悪いという方向に事実の解釈を捻じ曲げることで起こる弊害がかなり大きいことにようやく考えが及ぶようになってきたと自分自身の中で感じている。今まで、そこまで考える前に「自責」に逃げ、「楽」をしてきた。遅かれ早かれ、自分が話をたくさん聞いて下さっている方々のおかげでそれに気づくことができたことを自分の成長であると素直に認め、少しでも思考を改善するべく行動に移したいと考えている。
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