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毎日のお弁当作りとおうちごはんについて思うこと。

主人と同棲を始めた1年半前くらいから、
何か理由がない限り、平日は毎日主人と自分の分のお弁当を作り続けている。(自分のお弁当はもうずいぶん前からの習慣。)

毎日作ってるの?!すごいねって言われることが嬉しい、みたいな気持ちもあるんだけど、そんなことよりなにより、私は台所に立っている時間が好きなんだってことを最近改めて感じた。

引っ越しの時に、キッチンは奥さんのお城になるから、と不動産屋さんに言われたことを思い出す。まさに、それ。台所は私のお城。

料理は無心になれる。
木のまな板でキャベツの千切りをしているときは、特に。


段取り良く出来上がっていく名前もないような料理たち。
別にめちゃくちゃ料理がうまいわけではない、人様にお出しできるようなお洒落な料理が作れるわけでもない、だけど、私は自分が作ったご飯がおいしいと思えるし、主人もまた同じ気持ちでいてくれることが何よりうれしい。

たった1年半程度の間で、主人がおいしいと感じてくれる家庭の味が、私の味になっていることって、ものすごい幸福なことだよね。

結婚式の打ち合わせの際中に、「平日はお弁当を開けるのがたのしみ。」と言ってくれたこと、ちょっと特別なおかずにした時とかは決まって「これ、おいしい。ありがとう。」とLINEをくれること、家を空けたときには、私のご飯が食べたいとわざわざLINEをしてくること。
この前は、週に何度か家を空けることになってしまったから、週末にまとめてお弁当分も作り置きをしておいたら、帰った時にお花をくれた。
「いつもご飯つくってくれてありがとう。」って。

世界で一番幸せな嫁だ!!!って思った。

主人は別になにもロマンチックな人ではない。
ディズニーランドは嫌いだし、動物園も水族館も興味なし。
記念日のディナーだって赤提灯居酒屋が良い、って言うくらいの人。
なんなら、記念日は忘れている事の方が多い。

そんな人が言ってくれる言葉たちに嘘はないんだと思うから、
胃袋を掴んだ、とはよく言うけれど、その逆も然り。
むしろ、こっちが掴まれた。

私が台所を好きになったのはいつからか、覚えてはいないけど、
きっかけはおばあちゃんち。
小学生の頃は毎週末泊まりに行っていて、キャベツの千切りを覚えたのもそのころ。
始めは、まんまるのおにぎりからだったような気がする。

夕飯に私が握った三角になっていないおにぎりと、
大好きなババの唐揚げに添えられた、千切りになっていない太さの、食べ応えたっぷりキャベツ。

初めて得意料理になったのは、たまごやき。甘いやつ、味噌入り。
これは、パパの好きなモノだったから。喜んでほしくて、何回も練習して、その頃は毎晩私のたまごやきが食卓に並んでいた気がする。

バレンタインデーには決まって夜中までおばさんとお菓子作り。
当時好きだった幼馴染に向けて、毎年の恒例行事。
かわいく出来上がっていく甘いお菓子たちにときめいていた。
(ちなみに今、お菓子作りは苦手。)

実家の料理担当は父なので、
母との台所の記憶は、包丁で指を切って「ばっくり切っちゃったー!!」って叫んでいる記憶くらい。
でも母の作る、わかめの酢の物(みょうが抜き)と、鶏ごぼうご飯は大好物。

「料理」「台所」に関して、私は幸せな記憶が多い。

自分が作ったものに対して、誰かが喜んでくれる、おいしいって
食べてくれる、それがたぶん、私にとっては自己肯定感にも繋がるもので、
とっても幸せに感じることなのだと思う。

だから今は、主人を想って台所にいる時間が幸せ。

自分のお弁当はどんなもので良くても、
主人のお弁当は彩りもちょっと気にしてつくったり、
たまごやきの端っこは私のお弁当で、真ん中のきれいな部分は主人のお弁当。
焦げたお肉は私のお弁当で、きれいに焼けたお肉は主人のお弁当。
私は味なしご飯でも良いけど、主人の分はおかかも乗せちゃう。
そのひと手間を、かけたくなってしまう。

帰宅して、無心で台所に立っているとあっというまに2時間くらい経っていたりするし、それが原因で睡眠時間を削ってしまっていることもあるし、
自分のご飯はテキトーになりがちだし、私は毎日お弁当作ってるのに!!とかって喧嘩することもあるし、
だけど、この幸せの形は忘れたくない。

食べることに関して、私はまだうまく向き合えていなくて、
だけど、この幸せの形を、私の料理への気持ちを、ちゃんと忘れないようにできたら、きっともっとうまくいくのかなと思ったりもする。

料理は、愛だ。

主人に対しても、私に対しても、
私は私の愛の形を、台所から贈りたい。

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