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「悩みについて〜社会人〜」〜はぐれ雌ライオンの冒険〜

人生の終盤を意識しなきゃな〜と心配しつつ、
いやいや、まだまだいける!と思っている、
思い込もうとしている、

超絶 楽観 アラカン マダム!
まきせんせーでございます。

自分でマダム!と名乗るのはちょっと気恥ずかしいですが、

おばさん?は嫌だし、熟女?も違うし、、、

お許しください😉
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社会に出てからの悩みは
人生の舵取りができずにいたことです。

去年2023年8月まで、ずっと給与所得で生活していました。
給与所得者は会社の意向に従わなければなりません。絶対に。

私の処遇は人事権を持つ上司が決めます。

上司との関係は概ね、良好ではありませんでした。
最初の保育園を除いて。

銀行時代に「穴があったら入りたい」くらいの
痛いやらかしをしました。

出世を目論んで失敗してしまったのです。
恥ずかしいことを色々とやりました。

銀行のコールセンターへ派遣社員で入り、
7年くらい続けてから直雇用の嘱託社員となり、
その次があるとしたらそれは正行員です。
派遣社員も嘱託社員も非正規雇用社員です。

このような進み方で、同僚たちが少しずつ正行員に昇格していきます。

正行員の待遇は桁違いに良くて、
生活の安定と老後の安定、
一部上場企業の社員という社会的地位が手に入ります。

その当時は定年まで続けられる確率は高い、
と信じられていましたので
密かに正行員を目指す者は多かったと思います。

私もその一人でした。

親戚や友人には「行員」と伝えました。
「嘱託」ということを特に言わなければ
「ほぉ〜」という反応です。

同じ仕事内容なのに収入面で鬼ほどの格差がある!
正行員って、何て美味しいんだろう!

新卒で入行するには
それ相応の大学卒の肩書きが必要です。

私は悲しいかな4流女子大出身です。

その私がもう、正行員に手が届きそう!
あと一歩のところまで来ている!と思ってました。

コールセンターオペレーターから
アシスタントSVへ、
アシスタントSVからSVへ、
私は一段一段登って行きました。
その順序で行くと次は正行員です!

間も無く50代に突入する身としては
何としても何としても正行員とならなければならない!


ただ、リーマンショックの煽りで生涯雇用が危うくなり、
正行員であっても実績を上げないと
肩叩きされるようになり、

もう頭の中は焦りとパニック。

そこで見切りをつけちまえば良かったのに
私は正行員になるための工作を加速させようと心に誓いました。

年度が変わるごとに何名かの嘱託社員が選抜されて
晴れて正行員になります。
それを恨みがましく見ていました。
怖っ!

今度は私の番か?またダメだったか。。。
え?あの子がなれたの?
信じられない!!!
大した実績なんてないじゃん。
いったいどんな手を使ったの?

頭の中はそんなことで占められていましたので、
必然的に人望を失いパフォーマンは下がります。

やっていることは無茶苦茶です。

例えば
・自分の実績に貢献できるかどうかで人を判断する。
・上司と食事に行き、そこで同僚を酷評するのを聞いて悦に入って、自分は違う、評価されているのだ、と勘違いする。
・人事権のある上司に中元、歳暮を送りつける。
・ライバルを陥れるためにマイナス面を流布したり味方のふりをする。
・応援してくれている上司に相談なく更にその上役にチーム替えを希望する。

などなど。

この頃は毎日朝晩に仏壇に向かって
「正行員になれますように。」
と祈っていましたし。


今思うと狂ってました。

そんな私にある年の12月、
上司から呼び出しがかかりました。
次年度の人事を決めるための面談です。

「福岡転勤を打診されたら受けるか?」
という問いかけに、

「望むポジションに就かせてもくれないのにそれはできない。」
と答えていました。

実績も人望も特殊技能もないアラフィフの独身女が何言ってるんだかーーーーー。

もうもう、自分のことしか考えていない。
私、私、私!

「仰せのとおり、言われたとおりにいたします。」
と言えば正行員になれたかも知れないのに、、、

結局、次年度の正行員には、
私と同じSVだった年下の同僚女性が抜擢されました。。。


その辺りでようやく目が覚めました。

自分、何やってるの?
他人に振り回されているじゃない。
人に人生決められてるじゃない。
自分で切り拓いでないじゃない。
やりがいを感じてないじゃない。

ここにいてもダメになるだけじゃないぃー。
自分が蒔いた種なんだーーー。


独身の私には子どもがいません。
その分、姪甥を深〜く愛しており、
小さい頃から頻繁に会って
本当に癒されていました。

姪甥のおかげで無類の子ども好きとなっていました。

「保育園落ちた、日本シネ」
というツイートが大問題となった時期でもありました。

そうだ!これだ!
私は保育の道に進もう!

そう決めて、保育士試験に受かって保育士になる決意をし
銀行を辞めました。

そして保育士として再出発し、2年目で主任となり、5年目で園長となり、
自分が真剣に真摯に取り組んでいこうと決めれば
思ったように生きていけるのだ、ということが実感できました!

もっとも雇われ園長は、思うがままはできませんでしたが(笑)。

さてこれからどうなっていくのか、私!!!!!!!

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