マガジンのカバー画像

55歳にして初めてのクモ膜下出血経験記

15
何の冗談でもシャレでもなく、脳にできていたらしい(知らなかった)動脈瘤がブッシャー!!といっちゃいました。 記事はところどころネタかましながらも赤裸々に書いてますが、二度とこんな… もっと読む
運営しているクリエイター

2020年11月の記事一覧

偉大なる医療のゼネラリスト

看護師のことです。別に媚びも諂いもしていません。 いくら私が好き勝手ワガママ言いまくって、謝罪する機会を失ったからと言ってこの記事を書く訳でもありません。あんなすごい職業は他に知りません。 誤解を招きやすい表現ですがはっきり言います。まず、入院患者というのは、いわゆる普通の健常者に比べてはるかに凶暴で野蛮で無礼です。 人間弱いもので、体のどこかに不安を抱えてしまうと、心まで病んで荒んでしまうのは明らかです。つまりは自分以外の他人にまで気が回らない。そして自分に関わろうと

まだ書いていなかったこと

退院してから1ヵ月以上経つと、あれだけ強烈な体験をしても、大多数のことを忘れます。 でも、とりあえず憶えているものは書き留めておかないともったいないので、記憶にある限りを書き残しておきます。 リハビリについておそらく、私の意識が完全に正常に戻らないうちに最初のリハビリは始まったと思います。初期の頃は、リハビリが終わったら、またベッドに括り付けられていたと記憶しています。 体がまだフワフワな状態って、自分が今、どういう状態なのかを認識していませんし、認識しようとする意思す

モンスターペイシェントと医療現場と私

季節は、あっという間に10月になりました。 あの暑かった日から1ヵ月、すっかり秋になっていました。 病室からは何も見えませんが('A`) そして私は個室から6人部屋に移動になりました。そこには社会生活というか、共同生活というか、そういう温和な雰囲気はまるでなく、患者同士のコミュニケーションは、当初は皆無でした。 そんな中から、私が状況観察にて知り得たことを、ありのままに、話すぜ。 6人部屋とはいえ、日々患者は入れ替わります。その中でもインパクトがあったのが、私の向か

入院中最強アイテム現る!

前回、ようやく食事が摂れるようになった話をしましたが、小ネタはまだいろいろあるんです。 ベッド、あれ、上半身を自動で起こせるようになってるじゃないですか。私も調子ぶっこいて体を起こしてみました。でも当時はまだ、私の上半身はベルトで拘束されたまま。 この状態で上半身をほぼ垂直に起こすと、背骨がS字に、縦に圧迫されるんですよ。痛い。ってか折れる。危ない。当然のことながら、看護師さんに怒られました。どうやら私は上半身を20°~いくら高くとも30°くらいまでしか起こしてはいけない

療養中の食事を自分で選択する罠、そしてとにかくよく倒れるようになった私

汚い話ばかり書いていると引かれるので、その他あったことも、ありのままに、話すぜ。 点滴チューブが腕だけになった頃、私の経口摂食が始まりました。「待ちに待った食事」とはとても言えませんでした。食欲がまるで出ない。箸を持つ気すら起きない。 それでも、食べないと消化器官が退化してしまいますよね。摂取できる栄養源も限られてしまう。私はいつまでもここで寝たきりの生活に甘んじている訳にはいかないのだ。 ただただ社会復帰、それだけを目標に、出された病院食に立ち向かいました。。。 摂

9月の記憶(後編)

突然ですが、「旅行者下痢症」って病気ありますよね。 私はその真逆です。環境が変わると出なくなるんです。 入院中もそうでした。とはいえ、9月前半~中盤は、栄養源が点滴のみでしたので、「大」についてはさほど気にはかけていなかったんですが。。。 経口摂食が少しずつ始まり、1週間ほど過ぎた頃のことです。 「ヤツ」は、何の前兆もなしにやってきました。てか、1週間出ないってのも異常ですよね。ということで、看護師が「下剤でも追加しましょうか?」と、これまたロクでもないことを提案して

9月の記憶(前編)

手術は無事終わりました。とはいえ最初に目が覚めたのはその1~2日後ですが。 体中管だらけで、特に太いドレーンが挿管されている手首上腕部や、鼠径部周辺は黒痣で皮膚が醜く染まっていました。これ、一生消えなかったら嫌だな。。。 例の人工呼吸に関しては、鼻腔挿管されていました。あれ、想定していた以上に不快です。 そして上半身は、ベッドに拘束されていました。そしてその隙間を縫うように複雑に点滴チューブが何本も絡み合っていました。 周囲は計器だらけ。ということはここはICUだな。