自分で自分を育て直す。親の愛に悩む人のために

前の記事(姉妹間の競争)で、親の愛は有限(に見える)から、奪い合ってしまうけど、世の中の愛は無限だから、っていうことを書いたんですが、こういうことを体感するにも、親の愛が得られない、と悩んでいる状況では難しいのかな?と思って、今日の記事を書いてみようかなと思いました。

親の愛が得られない、思ったように愛してもらえなかった、ということって多いと思います。
というか、多かれ少なかれ、思ったように愛してくれる親なんていないのかもしれない。だって、親も未熟・不完全すぎる存在だから。

子どもの頃の傷を抱えたまま、大人になっている人も多いというか、ほとんどの人がそうなんじゃないかと思うけれど、
『自分が自分の親になる』『自分で自分を育て直す』の技を使ってしまうと、かなりいいかなって思います。

もう、未熟・不完全な親に認めてもらおう、アピールしよう、優劣競争、そういうのから自由になれる技です。

けど、私がやったものは、“禁止が多かった親バージョン“なので、そうじゃない親バージョンが具体的に説明できないかも知れないのですが、参考にしていただけたらなと思います。

まず第一歩。
親から小さい頃に禁止されていて、悲しかったり、寂しかったりしたことを、『全部』やってみます。
まあ、思いつく限りやってみるということかな。
なんか、私の場合は思春期に隠れてやったりしたこともあるけど、(って、布団の中で漫画読むとか?漫画禁止の家だったんですよねぇ。)大人になった今も、そういう禁止が残っちゃってる場合、全部やる。

人によっては、ジャンクフードを食べる、とかも入ったりします。
家によっては、一切のジャンクフードを禁じられてた、とかあるみたい。お祭りの屋台フードとか、高速SAの食べ物とか?
私みたいに、漫画好きなだけ読むとか、一日中寝る、とか?
他人からしたら、どうってことないことでも、本人にとって、禁止と感じられたなら、全部子供の心でやってみる。

はっきりと、禁止と自分で認識できてなかったとしても、
『子どもらしく遊ぶこと』『子どもらしく甘えること』『女の子らしいことをすること』
とかも入るかも知れません。

文房具屋さんで、キラキラシールを買ってみるとか、シール入ったお菓子買うとか?勉強ばっかりしてたなら、昔やりたかったのに、やれなかったことやってみるとか。ゲーム買ってもらえなかったら、ゲーム買って遊ぶとか。

甘えることを許されなかった、ということもあるかも知れない。
甘えることがどうやってやったらいいかわからないかも知れないから、まず、店員さんに質問して教えてもらう、というところから人に頼ったりしてみる。

習ってみたかったことをやってみるとか、下手とか上手いとか関係なく。

とことん、やってみるといいと思います。

次の段階は、
毎日褒め日記を書く、です。
15個くらい、毎日、朝いちか夜でもいいけど、自分を褒める。
でも、すごい小さいことでいいし、『自分の子が大好きすぎる親がいたら、言っちゃうだろうな』みたいなことを、書く。

今日もとにかく可愛いね!とか、今日はちゃんと洗濯して偉かったね!とか、よく寝れてよかったね!とか。そういうレベルです。
さらに、化粧ノリがよかろうが悪かろうが、『どんなメイクも似合ってすごいね!』
料理が大失敗しても、『いつも料理美味しいね!』
嘘じゃなくて。最愛の猫が、人間化して、すごい失敗料理作ってくれたら、こう言っちゃいませんか?最愛の猫とか、ハムスターだったら、何やってても、可愛すぎますよね?それを自分に向ける!
そのノリで、書くんです。

すごく地味な作業ですが、すごく効果があります。ジワジワと、続ければ続けるほど。

この褒めるという行動が積み上がっていくと、自己肯定感の土台がすごくつくられていって、最後自分のことを信じられるようになっていって、依存関係を断ち切る時も怖くなくなります。怖いかも知れないけど、思い切れます。
もう孤独じゃない、って自分を信じられるようになります。
そのための土台を作ってくれます。なので、毎日地道にやるととてもいいです。
毎日できなくても、ゆるゆる続けると、とてもいいです。

3つ目。
多分、感情解放。
感情解放というか、インナーチャイルドを救い出す。
子供の頃の自分の気持ち、感情、思いというのは、自分の中に変わらずあります。
その子が持っているままの、ネガティブと言われる気持ち(悲しい、寂しい、つらい、を押さえつけている怒り、それが煮詰まった恨み、妬み、嫉み)は、向かい合ってあげないと、消えることがないです。
ただ、向かい合って、“感じ“、“共感“すると、消えていきます。
感情は感じると消えていく。
ので、感じる前は、向かい合うのが怖いけど、実際は、“感じると感情は消えていく“ことを忘れず、この“感じると消えていく“、ために、“感じていく“ことが大事。

たくさん感情を溜め込んでるのに、感情解放をしていない人の特徴の一つとしては、思考を働かせてることかな。
思考優先で物事を捉えることは、悪くないけれど、感情が溜まっているのに、そっちを見ないで、思考で解決しようとしてるケース。
感情は、思考では解決できないから、感じるしかないんですよね。

そして、ここが“自分が自分の親になる“キモなのかも知れない。

子供が、『怖いよ〜』と泣いてる時に、
『怖かったね、大丈夫だよ。』と抱きしめてくれる親、
『ここは、明るくて全て見えてるんだから、怖いわけないだろう』と、思考で物事を整理し、感情には寄り添ってくれない親、
『うるさい、黙れ!』と、否認し、抑圧する親。

もっと色んなパターンがあると思うけど、内側にいて救い出されてないインナーチャイルドを救い笑顔にするためには、安心できる、ホッとできる、寄り添ったこうして欲しかった対応を、自分がとっていく。

この作業を、いろんな想いに対して、一つずつやっていきます。
この“想い“を出していかないといけないんだけど、どうやって出すかというと、大体感情を溜め込んでる人は、怒りで抑圧した感情に蓋をしているので、怒りを出さないといけない。抑えるんじゃなくて。

怒りが溜まってたら、何か書き出せそうなら、思いっきりノートに書く。
あの、いい人ぶらないでください。
醜すぎる自分の思いと対面してもらう感じなので、醜い本音が出てきます。
千と千尋の神隠しで、神様を洗ってあげますよね。あの感じでぐっちゃぐちゃに出てきます。そうやって出てきたら成功です。
書いてある内容が美しすぎたら、本音じゃないです。
醜すぎる思いが出てくると思ってた方が、いいんじゃないかな。本音で。

あとは、なんか、こうフィジカルにも発散していくことが大事なので、カラオケで絶叫とか、車の中で叫ぶとか、山とか人のいないところで叫ぶとか、あと、クッションを叩く殴るとか、ダンボールを誰かに見立てて殴るとか、怒りを発散する。

怒りが出尽くすと、隠されてた寂しい、つらい、悲しいが、怒りといっぱい混ざって出てくるので、そういうのも全部書いて、泣いて、ぐちゃぐちゃになりつつ、本音と向き合って、本音を書いていきます。三ヶ月とか、半年とか、長くかかるかも知れない。
並行して、体を動かす方法も、やったほうがいいです。
さっき言ったようなこととか、走るとか、汗をかくような運動もいいし。

これを続けていくと、あるとき感情が出尽くした感があって、ピタッと終わることはないけど、なんとなく、だいぶ出尽くしたかな、ってなる時があり、自分のインナーチャイルドと話せるようになってきます。
なんとなく、イメージだけど。
その子の表情とか、言いたいこととか、わかるようになってくる。

もしそうやって、インナーチャイルドに会うことができたら、そこからは、彼・彼女の望みを、大人のあなたが叶えていく。
守ってほしいとか、これをやりたい、褒めて欲しい、甘えたい、そういう願いを、大人のあなたが一つずつ地道に、叶えていく。

少し時間がかかるけど、自分のインナーチャイルドを、自分がしっかり守ることができた時、親の愛がもう必要なくなってきます。

実際は、三つ子の魂100までで、ずっと子どもとして、親の愛を求める気持ちは残ると思うし、私もそういう気持ちを持っています。
ただ、自分が望んだ愛を与えてくれる人がすでに自分にはいる、そして、私自身が、子どもの私を守れるという、確固とした自信が育っているので、ある時点で、“親も未熟なんだ“、“親にそれだけのことをする器がなかったのだから、仕方ない“、と思い切れるようになりました。

器のない人に望んでも、仕方がないのです。
でも、望んだものを、自分が自分に与えることができるんです。

そして、未熟ながらも、一生懸命できることを親もしてくれたんだな、というふうに思えるようになり始め、自分も同じように未熟だけど、完全完璧だったら、わざわざ人間に生まれてきてないかな、というふうに思ったりもします。








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