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第16話:輪廻

 ぶっこちゃんの場合、息子の死に際して受け止めきれない人間の脆弱な部分を補い過酷な状況においても生きていくための補助装置的機能として「忘れる」とか「見えないものが見える」とか「聞こえない声が聞こえる」とかいう所謂認知症状を呈するようになったとしのぶは解釈している。
 トイレやお風呂といった日常生活に少々の介助は必要だが、概ね自分で行っている。しのぶが買い物に出る時に三十分程留守番をするのも可能である。
 本人、特に趣味はなく、毎日何をするでなく家の中を移動して時にソファで休憩し、気が向いたら庭に出て花を見て、思い立って玄関の水槽に浮遊するテトラたちを眺めている。
 話し相手はしのぶと、時々娘のメイコ、週末にしのぶの夫幸太とも話すが、相手が誰だかはよく分かっていない様子だ。
 庭に出た時は御堂筋の通行人全てに挨拶をしているが、どうも皆さん、ぶっこちゃんにとっては知り合いらしい。
 そして最近になって増えたぶっこちゃんの話し相手が架空の子どもたちと、既に死んだ人たち。
「なんかなぁ、一度死んで、返ってきて、もっかい死ぬってのがあるねんな」
 ぶっこちゃんは唐突にとんでもない発言をすることが、ままある。
 玄関先で、出ようとしたが日差しにたじろいでいる様子のぶっこちゃんである。何故、そこでそれを思うのか、思考がランダムすぎて謎でしかない。
 しのぶはと言えば、植木の水やりをしていた。
「シュウマイさんおるやん、あの人がそうみたいやな」
 ぶっこちゃんは、いつも独り言のように言うが、およそそこにしのぶがいることは把握しており、そちらを向かずとも聞いているはずだと思い込んでいる。
 しのぶは思い返してみた。
 シュウマイさんというのは近所で以前親しくしていたお婆さんのことで、年はぶっこちゃんより少し下ではなかったか。シュウマイを売っていたわけでもなく、作ってくれたわけでもなく、単に顔の形がシュウマイに似ているからそう呼ばれていたお婆さんなのだが、数年前に他界した。
 亡くなるひと月前程であろうか、ぶっこちゃんと一緒に病院へ見舞いに行ったのを思い出した。
 古い、今では珍しい古風な木造建築の病院だった。薄い緑色に塗られた壁伝いに廊下を進み、廊下の中程にある一室のベッドの上で仰向けにシュウマイさんが寝ていて、部屋に入ると目だけちらりとこちらを見た。既に、涙目になっていた。口をパクパクするが、言葉は出ない。喉に管が繋がれていて、人工呼吸器が装着されていた。ふくよかなシュウマイの面影はあるが、賞味期限は幾日も過ぎてしまった腐りかけのシュウマイだった。
ぶっこちゃんは声をかけ、かけ続けた。
「こないなってもうて、えらいことやなぁ、もうええ、わかったわかった」
手を握って、懐かしそうに語るのだが、しのぶは横でただ見ることしかできなかった。シュウマイさんが何を言いたいのかわからない。シュウマイさんは本当は来てほしくなかったのではないか。本当は、こんな姿を見られたくなかったのではないか。様々な思いがよぎるのだが、結局何も言えないまま帰ってしまった。
 帰路ぶっこちゃんは言った。
「私ら行って喜んではったな」
「そうなん?」
「涙流してたわ」
 しのぶには、その感情がよくわからなかったが、ぶっこちゃんがそう言うのならば、そうなのかもしれないと思ってみた。
 その、シュウマイさんが生き返ったのだろうか?
「シュウマイさんに会うたん?」
「なんかな、来てはってな、でもまた死んでもた」
「そうなん、また生き返るん?」
「もう無理や」
 ぶっこちゃんは言い切った。
 ぶっこちゃん、あなたは仏か?

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