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第五話:ネタの宝庫

 ぶっこちゃんは孫であるしのぶが知る限り、無精な性格である。細かいことを気にせず、大雑把。おおらかと言えば聞こえがいいが、まぁ他者に対して概ね無関心なのである。そうした性質は若しくは人生の後半でそうなってくるものなのかもしれないが、叔母メイコの話とすり合わせてみてもあながち元々の素質であるように思われる。
 表面的には愛嬌良しで、誰とでも、通りすがりの見ず知らずの人でさえも気さくに話す能力を持ち備えているが、こういう他者との交流については昔の人の特性と言える部分もあるかもしれない。とにかく彼女の評判は良いようである。
 そして、孫のしのぶから見ても喜怒哀楽を惜しげもなく率直に表出する人間味あふれる年寄りの、時にいたずらっぽさの垣間見れる表情は可愛らしくもあり、またふくよかだが年々小さくなる姿に弱さを感じたりもする。
 だが、幼少より育てられてきているものの母のような頼もしさや優しさというよりは、どちらかと言えば子どものような存在の方が近いと感じていたのは、ぶっこちゃんが年老いたせいだろう。よく言う子ども返りのような様子を見るようになったせいかもしれないし、それに所以する認知症状のせいかもしれないが。
 そうした面白みのあるぶっこちゃんとの会話を、特に楽しいと感じ始めたのが喜寿を目前とした頃である。
 ある朝、寝起きのぶっこちゃんが玄関前のソファに身を沈めたので洗濯機をまわしたあと、おもむろに近づいてすぐ隣に腰を下ろした。
 ぶっこちゃんはその様子を一旦チラ見して、しのぶが座るとまた視線を正面に据えた。
 何を見ているんだろうと思ってぶっこちゃんの顔を覗き込んだ。
「ぶっこちゃん、ひげぼーぼーやな」
 しのぶの目に飛び込んだ柔らかそうな口元の草原が、条件反射的にしのぶの口を動かした。
「これ、あざやねん」
 ぶっこちゃんは、しのぶの豊かな想像を一瞬にして消し去った。
あざ。確かに、よく見たら少しあざのように黒く見える部分もある。ぶっこちゃんはこれのことを言っているのだろうか、若しくは「ひげなんて生えるかい」といった冗談として……いや、この真顔は前者か、はたまた別の思考がこの健気な表情の向こうにあるのだろうか。
 と、ここでまたぶっこちゃんがしのぶの不意をつく。
「レスリングと体操は一緒やろ」
 ど、どこから来た、レスリング?
「あ、ダンスと一緒か」
 一人で納得するぶっこちゃん。隣で笑いを堪えるしのぶ。今日も良い日になりそうだ、としのぶは思った。

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