心の安寧の探し方|2022Jan.

2022年は何かを成し遂げるぞとか、具体的な目標とかそうゆうのはないのだけれど、ゆるい「方針」というか「方向性」みたいなものは決めておこうと考えた。
目標立ててもすぐに達成してしまったり、3月ごろにはあー無理だと諦めてしまう程の高すぎる目標にしてしまったりするから、あまり意味をなさないなと半分諦めのような気持ちを抱いてしまったので、そんな感じでいこうかと思っている。

年末年始は例年同様、実家に帰省(コロナ禍であるが実家にはいつも通っているほど近いので問題ないのだ)して、鏡餅の準備をしたり買い出しをしたりして過ごした。写真を趣味にしていることから、親戚の子どもと遊んでいるところを撮ってみたり、新年らしくおせち料理を撮って過ごした。

例年は飲んだくれているから新年の写真なんていうものは存在していないのだが、今年は異例である。弱いので普段から酒はほぼ飲んでおらず、新年などのイベントの時に少し飲んで寝てしまうようなパターンが多かった。だから完全に酒をやめた。酒を飲むとその後のQOLがだだ下がりする。
想像以上にもったいない時間の過ごし方であると気づいた。


かわりに、日記を書いた。
5年ほど前から「ほぼ日手帳」を使っていて、今までは思い付いた時に日記をつけたり、メモがわりに思考を垂れ流したりして、だいたい3分の1くらい書けていれば大したものだという程度だった。
それを今年はなんと1ヶ月間ではあるが毎日書いている。

正月の間、毎日書いていた流れで、はじめて1ヶ月間書き続けることができた。それもそんなに気合をいれて始めたわけではないし、書き続ける執念を持って始めたわけではないのにだ。

なぜこんなに続けることができたのかというと、おそらく写真を貼り付けるようになったからだと思った。

趣味で撮っている写真は今時わざわざ現像しないし、たまにSNSに載せることはあるけれど、そうでないほとんどの写真はHDDの肥やしになっているだけでもったいなかった。
それを、誰が見るわけでもない手帳に時系列で並べてコメントをつけて綺麗に整えてみた。それが意外とわたしの心の安寧につながった。

スマホに入っているデータをシールにして印刷できるプリンターという便利グッズがあって、これを買ってよかった。1枚の写真を1枚出すだけでなく、複数の写真を分割して印刷できるから任意の大きさに変更できて、日記を書くのにちょうどいい枚数をちょうどいい大きさで印刷できる。
そうやって自分の好きに編集する作業が意外と楽しかった。

これは「日記」へのアプローチを変えたことで、「日記を書くこと」が、自分で自分のご機嫌をとれるツールに変わったということなのかもしれない。
これは5年やってて気づかなかった発見だった。


今年の方針をまだ書いていなかった。
今年は「不機嫌になりそうになったら、自分で自分のご機嫌をとる行動を心がける」という感じになりそうだ。

いつも機嫌良く、にこにこと笑顔で過ごせるように、不機嫌になりそうなことは避けて、自分の機嫌を自分でとって、周囲を不快にさせないように心がけたい。

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