ユーレカの日々[62]リビングオーディオ・パブリックミュージック/まつむらまきお

初出:日刊デジタルクリエイターズ 2017年09月06日

うちのリビングルームには、ほこりをかぶった、小さなスピーカーがある。10年ほど前に買ったもので、iPodをセットして鳴らすことができる、FMラジオ内蔵のコンパクトオーディオだ。

以前はよく使っていたのだが、iPhoneのコネクタが現在のLightningに変更された5年前あたりから、徐々に出番がなくなっていた。

自分の仕事部屋では、Macで音楽を聴くし、家族は家族でそれぞれ、iPhoneなりMacなりで音楽を聴いているので、リビングオーディオはなくても困らない。

そんなわけでここ5年ほど、何に買い換えるわけでもなく、リビングで音楽をかけることもなく、放置状態が続いていた。

子どもたちが小さかった頃は、子ども向きの音楽をかけたり、自分の趣味の音楽をかけたりと、リビングオーディオもそれなりに活躍していたが、子どもたちが自分のiPod、そしてiPhoneを持つようになってからは、リビングで音楽が流れることがすっかり減ってしまった。

考えてみればこの10年間で、音楽を聴く環境は大きく変化した。CDも、ラジオも、いつのまにか配信で聴くことが当たり前になった。定額で様々な音楽を聴くことができるし、いつもポケットにはそれを聴くことができるスマートフォンがある。

イヤホンを忘れても、昔のポケットトランジスタラジオ程度の音でよければ、いつでも鳴らすことができる。合法にしろ、違法にしろ、YouTubeでは無数の音楽がアップロードされている。

ほとんどコストをかけずに、聴きたい音楽を、いつでも、どこでも、自由に選んで聴くことができる。いい時代になったものだ。音楽業界は大丈夫かと心配になってくるが。

さて、子どもたちが成長し、家にいないことが多くなってきた。長女は今年、結婚して家を出た。家の中が静かになってくると、ちょっと音楽が欲しくなってくる。

●リビングオーディオが欲しい

使っていないこのiPod用スピーカーを復活させようか。iPhoneのコネクタが変わってしまったので、スピーカーに直結できない。

ケーブルを使えばiPhoneから音を出すことはできるし、変換アダプタもあるようなのだが、iPhoneをつないでしまうと、その間、手元にiPhoneがない状態になる。それは困る。なるほど、Bluetoothが全盛になるわけだ。

このスピーカー、ラジオとしてなら使える。以前はFMもよく聴いていた。今でもクルマやradikoで聴くことがあるが、最近はスポンサー不足なのだろう、FMでもラジオショッピングがよく入る。

これがうっとおしいので、積極的に聴くことはなくなってしまった。なにより、流れるのが今の流行の音楽か、懐メロばかりで、僕の趣味に合う音楽がほとんどない。

うちのリビングルームには、どんなオーディオ、どんな音楽が必要なんだろう。そういえば、スマートスピーカーが話題だ。Appleのスピーカー「HomePod」や、LINEの「WAVE」、Amazonの「Alexa」などなど……。

まぁ、それらを待つのもなくはないが、iPhoneのsiriに「◎◎を再生して」と言っても、それをちゃんと認識して再生されるのが20%くらいなので、あまり期待できない。

Amazonを徘徊してみると、星の数ほどコンパクトなBluetoothスピーカーがある。しかし、どれもダサい。独身男性向け、と言えばいいのだろうか。ストリートっぽいデザインのものばかりで、リビングに置く気になれない。

BOSEやSONYはプレーンなデザインだが、高価だ。そのなかで、目を引くデザインのものを見つけた。GGMMというブランド。

レトロなラジオのようなデザインが素敵だ。機能をみると、珍しくWi-Fiモデルがある。AppleのAirPlay対応だという。

●珍しいAirPlayとネットラジオ対応

AirPlayというのは、AppleがWi-Fiを採用した時代からある技術で、同じWi-Fiで繋がっているMac、iPhone、スピーカーを自在に接続できるというもの。

Bluetoothが1対1のペアリングが基本なのに対し、AirPlayは複数のデバイスから自在に接続できる。これなら家族全員が使うことができる。

とても使い勝手がよいのだが、Apple以外の製品で、これに対応している機材は珍しい。

Wi-Fiを使ったネットラジオにも対応しているという。ネットラジオは最近、あまり話題にもならなくなったし、AppleMusicがはじまってからはiTunesでも隅っこに追いやられているが、世界には無数のネットラジオ局が存在している。

ちょっとBGMが欲しい時、スタンドアロンでネットラジオが使えるのはありがたい。さらにAmazonのアシスタントAlexaにも対応しているという。

日本語のAlexaが始まった時、対応するのかどうかはわからないが、これは立派なスマートスピーカーではないか。レビューを見ると、音もよさそうである。ぽちっ。

補足:日本語のAlexaに対応済

翌日には無事、商品が届く。セッティングはすべてiPhoneの専用アプリで行う。最初少々手こずったが、無事AirPlayで認識され、ネットラジオも登録できた。

ネットラジオには、ボサノバやスムースジャズの局を登録。本体のボタンのみで、ネットラジオが鳴る。サイズは小さいが、なかなかいい音。

ひさしぶりのリビングオーディオは、とても新鮮だ。ネットラジオからボサノバが流れているだけで、カフェ気分である。というわけで、うちのリビングはひたすらボサノバが流れることになった。

●ボサノバが嫌い?

ところが、これに異議を唱える家族が一名。うちの長女である。何が不満なのかと聞くと、選曲が不満だという。まるで仕事場だと。なるほど。うちの娘は学生時代からカフェで働いているのだ。たしかにカフェのBGMは、ひたすらボサノバである。

ボサノバといえば、ゆるく快適な音楽の代表選手。客にとっては、ボサノバの流れるカフェは憩いの非日常空間だが、そこで働く人間にとっては日常空間。家でボサノバが流れていてはイラっとくるというわけだ。

しばらくすると、今度は次女がこのスピーカーの使い方を憶えて、朝っぱらから、いかにも青春なJ-POPを流すようになった。

彼女には悪いが、僕の趣味ではない。彼女は起き抜けの気合入れにそれを流すのだが、こちらは起き抜けに天丼を食べてるようで胸焼けがする。

うーむ。音楽というのはやっかいなものである。

●音楽の拷問

ぼくが20代、会社員時代だったころの事を思い出した。仕事場にはオーディオがあって、いつもFMラジオがかかっていた。BGMとしてという意味もあるが、企画部署だったので、いろいろと街の話題がわかるラジオは、仕事上でも役にたっていた。

ところが。僕が朝出社すると、先輩たちはまだだれも来ていなくて、僕よりも先輩の派遣社員だけが出社している。その彼女が、FMではなく、僕が苦手な、某有名J-Popのカセットを、仕事場のオーディオで流すのだ。

最初はあまり気にしていなかったが、これが何日も続くと、相当辛い。しかし相手は先輩なので、それをやめてくれ、とは言いにくい。ウォークマンで自衛しつつ、彼女が席をはずすタイミングで、FMに切り替えるのが日常だった。

それから数年。今度は後輩の新入社員が、自作のCDを流すという事件があった。彼は学生時代から音楽活動をしており、インディーズでアルバムを出していたのだ。

仕事場のオーディオで隙あらば、自分の曲を流す。最初はほほえましく見守っていたのだが、あまりのヘビーローテーションに、みんなウンザリ。

とある先輩は気がつくと飛んできて、FM放送に切り替える。するとその新入社員は隙を見て、自分のCDに切り替える、という攻防戦がしばらく続いていた。

そういったプロモーションの甲斐あってか、彼はその後メジャーデビューし、会社は辞め、なんとレコード大賞の新人賞まで取ってしまった。

今でも歌手として活躍している彼の歌を、たまにラジオで聞くと、当時の仕事場での攻防戦を思い出して笑ってしまう。まぁ、プロになるには、あれくらいの押しの強さが必要ということか。

音というものは厄介なものだ。不快なものを見たくなければ、目を閉じればいい。完全にシャットアウトできる。しかし音はそうはいかない。耳を塞いでも、漏れ聞こえる。好きな人には快適だが、嫌な人には苦痛。

昨今、タバコの煙が社会悪として徹底的に追いやられているが、音楽も同じくらい、他人にストレスを与えることがある。

●なぜ嫌いになるのか

音楽は基本的には、人が聞いて快適に思えるように作られる。旋律、リズム、ハーモニー。どんな音楽であっても、そう不快に思うことはない。黒板をひっかくような音だとか、赤ん坊の泣き叫ぶ音を使って音楽を作ることは、ほとんどない。

となると、特定の音楽を嫌いになる条件は二つ。

一つは長女がボサノバを嫌がるパターン。うちの長女も別にボサノバが最初から嫌いだったわけではない。ただ、職場で延々と繰り返し聞くうちに、ウンザリしてしまったのだ。

映画「時計じかけのオレンジ」では、暴力三昧の主人公に対し、ルドヴィコ療法という人格改造が行われる。その結果、それまで好きだったベートーベンの第九を聞くだけで、吐き気を催すようになる。

サッカーの応援歌や、ミュージシャンがアンコールで決まって演奏する、定番の人気曲。たしかにこういったものは、気分を高揚させ、その場にいる人達の一体感を醸し出す。

しかし、それが延々と続くとなると、だれだってウンザリするし、強制的にそればかり聞かされれば、生理的に拒否反応が出るほど、ストレスになる。その音楽が嫌いになる。

二つ目は、歌詞だ。言葉は具体的であり、どんな歌だって、作り手の思想がそのまま、表現される。メロディや編曲でも、民族音楽の伝統にのっとっているなど、思想は現れるだろうが、歌詞はより具体的で、知識がなくてもだれにでも伝わる。

僕が会社員時代に悩まされた某J-Popはこのパターンだ。とにかく、歌われている歌詞が嫌。描かれている情景、気持ち、選ばれている言葉、あらゆることが受け入れ難かった。

たとえば、語尾の「〜さ」が嫌。「○○なのさ〜♪」ってやつで、60年代歌謡〜70年代フォークでは多用されていたように思う。

「ちびまるこちゃん」の花輪くんの、キザな喋り方と言えばわかってもらえるだろうか。花輪くんはギャグなのでいいのだが、実際こんな喋り方するヤツはいないだろう……とちょっと調べてみると、北海道弁という指摘が。

ああたしかに、北海道や東北の人は「〜さ」って言うけど、イントネーションもニュアンスも随分違う。あれは別に嫌じゃない。

小・中学生時代は演歌が大嫌いだった。今では大人になって、描かれている世界はそれなりに理解できるようになったが、中学時代はああいうジメジメした世界がとても嫌だった。

●団結の歌

そういえば、校歌、社歌、国歌というものも苦手だ。小学校の頃は朝礼があって、校歌というものも普通に歌っていた気がするが、中高となると、校歌の機会はぐんと減り、大学に至っては入学式と卒業式だけ。

自分の母校の校歌がどんな曲なのか、まったく記憶にない。そもそも、校歌って必要なんだろうか? 高校野球で勝ったチームは校歌を歌うが、美術部や音楽部、演劇部などがコンクールで優勝しても、校歌は歌わない。

体育会系が歌が好き、ということなのか。文系の僕にはあのメンタリティはさっぱり理解できない。

会社員時代、朝礼というのがあって、社歌が流れる。これがまぁ、嫌だった。メーカーだったので、いかにも労働歌な感じ。デジクリ読者にはピンとこないかもしれない。

明和電機社歌というのがある。あれはパロディなので笑えるが、あれを毎日毎日、斉唱させられると思って欲しい。ちっとも笑えない。

なんだろう。「団結」とか「がんばろう」とか「めざす」とか。そういうワードがとにかく嫌なのだ。子供の頃からスポーツが苦手で、そういう場でそういうコトができなかった、マイノリティのトラウマなのかもしれない。

当然、国歌も苦手だ。複数の国が参加する儀礼の場で国歌が流れたり、起立するのはかまわないが、歌えと言われると嫌。小中学校で、教員が歌っているかどうか、口元をチェックしていたなんて話が以前あったが、ゾッとする。

そういうことになるから、嫌なのだ。音楽は暴力になりうるのだ。

補足:この原稿を書いた数年後、クレイジー・ケン・バンドの横山剣が西原商会の社歌を作った。この曲と、この原稿で嫌だといっている社歌の違いは、視点だろう。西原商会の歌詞は外から見られたことを意識した歌詞で、同社のCMでもガンガン使われる。旧来の社歌は、社内の視点しかない。ああ、それが嫌なのだ。https://www.youtube.com/watch?v=Ua0Ic-g_IOg


●いろんな音楽との出会い

では、自分の好きな音楽だけを、それぞれがヘッドフォンで聴いているのが、よい世界なんだろうか。

僕のiTunesのライブラリには1168枚のアルバム、1万3千曲入っている。これだけあれば充分、とはいかない。

ライブラリに入っているのは、自分で気に入ってる曲ばかりなのだが、かといって、今気に入っている曲とは限らない。一時よく聴いていたが、今はまったく聴かないアーティストも多い。

定額聴き放題のAppleMusicを使っていると、こちらの好みにあわせて、いろいろオススメをしてくれる。けっこう、新しい音楽との出会いがあり、楽しい。もちろんハズレもある。

ディープラーニングが進化し、いずれ、自分好みの音楽ばかりを選曲してくれるようになるのかもしれないが、あまり精度が高くない方がいいように思う。

街に出ると、時折ストリートミュージシャンが演奏をしているところに出くわす。賑やかなラテンもあれば、静かな弾き語りもある。

好みの音楽であれば足を止め、嫌いな音楽なら足早にそこを通り過ぎればいい。いろんな音楽が溢れているから、街は魅力的なのだ。ストリートミュージシャンがジャイアンしかいない世界は、勘弁して欲しい。

そんなわけで、新しいリビングスピーカーは、家族がみな、空いているときに勝手に好きな音楽を鳴らしている。僕は子どもがいないときに、ボサノバを流している。

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