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生きる希望をもらった曲。

20代の終わり頃、
癌を患い1年闘病生活を強いられた。

少し長くなるけど…自身や身内に癌を患った方がいたら共感するかもしれない。。。


一 2013年 夏 一

そもそもの発見のきっかけは健康診断だった。

それまでの私の生活は…朝から晩まで治療や研究や学生教育や医局業務に追われる仕事漬けの毎日で。次々と舞い込む仕事の期限に焦り17時過ぎまでお昼を食べる時間がなかったり、夕飯は帰ってから23時なんてことが普通になり不規則な生活だった。仕事は好きだけど、常にプレッシャーを抱えながらも自分で選んだ道だからと負けないよう頑張ってた。
ずっと体は丈夫だと思い込んでいたし、自分が病気になるなんてこれっぽっちも頭になかった…。

だから、ずっと疲労感や眩暈があったとしても
同僚もみんな同じような生活で疲れているから気付くこともなく、体力の低下を感じつつも…あぁ過労かなぁ…くらいに気に留めることもなかった。

けれど…
突然、私だけ健康診断に引っかかった。
なんとなく近所の病院に行ったら「大きい病院じゃないと検査ができない」と言われ、今度は大きな総合病院に行ってみたところ…

「ごめんなさい。これはもしものときウチでは対応できないので、専門病院で精密検査を受けて下さい。」と照会状を渡された。

え……。

もう突然の思いもよらぬ展開に
頭の中が真っ白になり呆然とした。

どうしよう…
家族には心配かけるから言いたくない。
言ったら心配するだろうなぁ。
でも何かあったら困るなぁ。
そればかりずっと考えていた…

週末、意を決して実家に帰り母親に打ち明けた。

「大丈夫よ!私が一緒に付いていく!何があっても絶対お母さんがいるから安心しなさい」

と…きっと影ではもの凄く心配してるのが想像ついてしまうけれど、いつも太陽のように明るく子供が何歳になってもどんな時も全力で守ってくれる母。小さい頃から母のこの『大丈夫!』の一言は私を安心させてくれる魔法の言葉だった。

それから母と病院に行き、一週間後に検査結果を聞きに行った。

私は検査の時に技師さんが話していた言葉から
悪性なのはだいたい想像がついてしまっていたけれど…良性かもしれない僅かな希望も持ちつつ、なんとか気持ちを整理していた。

けれど…やはり結果は悪性腫瘍で。
宣告されたとき、隣りで母は私を元気付けようと明るく気丈に振る舞っていた。
ただ、意外にも宣告されたときの私は冷静で「あぁ、やっぱり悪性だ。」と呟き、隣りで担当医の説明を真剣にメモっている母親を見て『お母さんが狼狽えることなくて良かったぁ』と心の中で
なんだかそこに一番ホッとしてしまい、
あとは他人事のように説明を聞いていた。

それから1時間程で入院やオペの日程など諸々の手続きを終え、帰りにちょっと疲れたし休憩しようとカフェに寄った。

一息つくと母親が両手で顔を覆っていた。

「代わってあげられなくてごめんね…」
と人目を憚らず突然泣き崩れた…

あんなに気丈に振る舞っていたのに
緊張の糸が切れたみたいで…

「Makiちゃんの前では泣かないって決めてたんだけど、ごめんね、ダメだった。本当は昨日もお父さんと二人で代わってやりたいって泣いちゃってさ。」
ってボロボロと泣きながら笑った。

思わず私まで涙が出た。

「そんなこと言わないでよ。むしろ親にこんな思いさせるなんて謝るのは私の方だから。ごめんね、泣かないでよ。私は大丈夫だから!」
と笑いながら母を元気付けた。

大切に育ててくれた両親にこんな思いをさせてしまったことが本当に申し訳なくて…
親不孝で心が痛かった。

仕事よりも何よりも健康が一番なんだ。
身をもって思い知った出来事。

仕事はしばらく休職させてもらい、実家に戻ることにした。入院までの間、食事も少なくなって体重が減り始め、少し歩くだけで体力が持たずに座り込んでしまう。外はかなりの猛暑なのに長袖を着ていないと寒く感じる体に焦りつつ、家族に支えられながら今までの何気ない日常って凄いことだったんだなぁと感じる日々。
そして、ふと夜になると自分の身体の中に癌が共生していることが恐ろしくなり、家族に聞こえないよう声を殺して泣いた。身体が癌に蝕まれているような感覚がしてとても怖かった…。
きっと癌を患った人の多くはこんな夜を過ごしたことがあるんじゃないかな…。

実際こうして症状が出てくると心は追い込まれ…
台風が去った後の昼下がりの海岸を独り散歩して防波堤に座り、防波堤の下に打ち寄せる黒い波を吸い込まれそうにじっと覗き込んでた。

……完全に気持ちが負けそうになったとき
心に浮かんだのは浅岡さんだった。
昔からそうだった。
辛いときに絶対に浮かぶ存在。

あぁ…ダメじゃん。
まだ浅岡さんがこれからどんな曲創るのか知りたい。いつか会いたいし……まだ死にたくない。
生きたいよ。

と顔を上げ水平線を見て涙を零しながら口ずさんだのがこの曲達だった。

遥かなHorizon 闇を切り開いて
この世界逃げる場所はない 鼓動止まるまで
見上げたHorizon 僕はまだやれそうさ
雨のち晴れ シンプルにゆくだけ...
一 Horizon 一
翼破れて僕らは立ちすくむ
傷を抱えたまま 今を
だけど 願いを信じたその先に
光は在る きっと...
一 ヒカリ 一
逢いたいよ 君に
昨日の自分に負けない強さがあるのなら…
一 When I call your name 一
もう闇の言葉は 僕には届かない
一 Tomorrow 一
Someday 君を照らせるように
今 僕は暗闇を抜けてみせるよ
一 Someday 一

この曲と歌詞に闘病中何度も救われた。

今思うとココロがかなり病んでた…。
たぶん心身いっぱいいっぱいだったところに
病気になって…鬱だったのかも。

いつも私を暗闇の底から助け出してくれるのは
大切な家族と大好きな浅岡さんの存在なんだ。

本当にありがとうしかない。

もうこの場所に戻って来られないかもなぁと
身の回りを少し整理して死を覚悟したせいか
それから全てのことに対して
些細なことはどうでも良いと思うようになった。
大事なことだけ全力でやろうと。
どうせなら自由に生きてみようと。

今、私は元気に生きているけれど、
相当ストレスが多い生活を送っていたのかと尋ねられた私の身体には…
癌が珍しいほど数多くリンパ節に転移していたと告げられた。

普通こんな目に遭うかなっていう
いろんな事が起こる波瀾万丈な人生なんだけど、ただ生きてさえいれば良いことだってあるから、なるべくストレスフリーに生きると決めたんだ。

最初で最後の 君の物語
真っ白な 未来だから 自由に歩いてみよう
何処でも行けるよ
一 最初で最後の 一

あの時からこの曲はすごく大切になった。

私の大好きな人の音楽が
一人でも多くの人に聴いてもらえたら
同じように救われる人がいたら嬉しいな✨

こんな死ぬかもしれないギリギリの状態でも
やっぱり浮かぶんだ私は…浅岡さんが 笑

あれから新曲もたくさん聴けたなぁ😊
何年か温めてる新曲の『Send True LOVE』すごく良いメロディーだからどんな歌詞ができるのか楽しみ。浅岡さんは題名ダサイって言ってたけど、私はこの題名真っ直ぐで好きだけどなぁ😃

今回のLIVEの『ヒカリ』を聴いたときに、何故か闘病してた時の記憶を思い出して涙が零れた。
いつもは浅岡さんの歌い方とかに惹き込まれるんだけど、このライブハウスの雰囲気と音の響きの良さと映像やピアノやチェロ、ギターの音色も合わさったからかなぁ。
いつもは近いと緊張するからなるべく後ろの方で観るんだけど…浅岡さんをここまで近くで見たのは何年ぶりだろ🙃笑
アカペラも聴けたし、歌い終わる度に楽しい楽しいって言っていて、それが表情にも溢れて出ていて温かくて素敵なLIVEだった😊✨




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