「ありのままで生きたい」って心が叫んでる。
私は心の底から人が嫌いだった。
偽善的で、わがままで、愚かで、鈍感で、何ひとつ心の機微に気が付いてくれない、私にとっては不都合な存在だった。
「理解できないなんて馬鹿だ、あほだ。早く消えてしまえばいいのに。」そう心で毒付いて、青春という時間を暗いものに変えてきた。
ただ、私は非常にわがままで、理解してくれる人が現れても、心は変わらなかった。
理解してもらえる人と話をしていても、何も楽しくなかった。まるで向こうが私のことを理解しようと奮闘しているだけに見えた。
むしろ、私が相手をコントロールしているような気さえして、居心地が悪かった。理解されることがなんだが気持ちが悪く、とても不快だった。悲しくなって、苦しくなって、辛くなる。自分の心が不安定になる。
そんな状態が嫌ですぐさま知人を変える。
そういった経験から、他人に馬鹿だな、と思う傍で、自分こそ本当に愚かなのだと確信していった。
誰にもわかってもらえないと言いながらも、実は誰にもわかってもらおうとしていない。
私が欲しいのは「わかってもらう」ことではなく、「見捨てられない確信」だということ。
人との関係性の築き上げ方がわからなくて、必死にすがっていただけだった。
そんな事実が浮き彫りになった。
嫌われてしまったら、自分の価値がなくなる。
好かれてしまったら、自分の世界観が崩れる。
じゃあ誰とも話をしなければいい。
興味も持たなければいい。
そうして私は病気になった。
初めに口にした
「他人なんか早く消えてしまえばいい」
という言葉は他人に対して思ったわけではなく、実は
「私は誰とも関われない性格だから楽しくない、早く消えてしまいたい」
という悲しい叫びだということにも気づいた。
私がこんなに苦しいのも、悲しいのも、誰のせいでもない、自分のせいでもない。
世間は社会に嚙みつけというけれど、噛み付いても自分の心は変わらない。
だったらそのまま穏やかに生きたいと思うのは当然でしょ。
誰かにわかってもらわなくてもいいから、仕事で苦しんでもいい、
いじめられてもいい、その代わり心穏やかに生きさせて欲しい。
私は私のままで生きさせて欲しい。
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