「ごめんなさい」
子どもの頃から染みついた「反省」は、
相手に自分がどれだけスマナイと思っているかを上手に伝えるテクニックに過ぎない。
「反省しなさい」と言われると、いかにして相手の怒りを静めるかを試されてきたように思うのだ。
我が子が小さい頃は、ちゃんと「ごめんなさい」が言えるように、と思って育てていたが、大事なのはごめんなさいを言うことではなく、何が悪かったのかを分かっているかどうか、だったのでは?と、今になって思う。
悪いと思っていないなら、謝らなくてもいい。
もっというと、「『ごめんなさい』を言えない子どもの親」として見られたくなかったのが本音だ。だから子どもに、「こんな時は何というのかな?」と、ごめんなさいを促していた。
子どもが「素直に」ごめんなさい、が言えると、親としては気持ちが良かった。私も褒められた気分になれた。
「〇〇ちゃんは、ごめんなさいが言えて偉いわねえ」と。
「ごめんなさい」を言える子どもと
それをきちんとしつけている親とは、
社会的な評価に直結している。
親が子どもにごめんなさいを言わせようとしているのが、人から見て分かるようにするのも、ある意味テクニックだったように思う。
子どもからすれば、ごめんなさいが言える、というより、
こういうときはさっさとごめんなさいを言っておいた方が吉だと学ぶ。
(当然、心からスマナイと思い、ごめんなさいが言える習慣も身につくが。)
ママA|ごめんなさいは?
子どもA|ごめんなさい。
子どもB|いーいーよ!
ママB|はい、仲直り!あーくーしゅ!
こんな光景を見て、ふと思ったことを書いた。
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