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the Odyssey その2

2021年6月〜8月

 このあたりから、まだアルバムを作るところまでは思い至らないまでも、何はともあれ曲を作らなければ始まらないと思い立ち、色んなところから曲の種を集め始める。ボイスメモだったり、制作ノートのメモだったり、好きな和音を探してみたり。そんな中、リリースした事で、ありがたい事にライブのお話をいくつか頂いた。そのうちの一つを近所に住む友達のウクレレ奏者(でもある)ヨウコさんにサポートをお願いして、ライブ用のアレンジも並行して進めていたのだけど、パンデミックの影響もあり延期になってしまった。なんでも、お寺を借りて会場にする予定だったのが、檀家さんから物言いがついたのだそう。お寺であってもスポンサーは強い。その後8月に名古屋と大阪で呼んでもらったライブは無事弾き語りで出演。どちらも蔓延防止策や緊急事態宣言下ではあったのだけれど、やりましょう!という主催者とお店側の心意気もあり、エンタメは疲弊してした人にとってこそ急を要するコンテンツ!と思い切った演奏できたと思う。久しぶりの友達にもたくさん会えて、おこもり中の出来事など色々と話す。聞いていて面白かったのは、人によってパンデミックの捉え方が全然違う、という事だった。大変だけど、できることをやりましょう、という人もいれば、楽しんで取り組める時が来るまでちょっとお休み、という人もいる。人と人の直接の接触を断つとこんなにも個人の個性が際立つのかと、驚いた。ただ、一様に共通してるのは、動いていてもそうでなくても、音楽が好きな人はバイタリティが高い、という事だった。
 リリースしてからいくつかのライブを終えるたびに、曲が足りない、と同じところに立ち返った。なので、ここからやおら集めた種をまき始める。この頃の制作ノートを見返すと、まだ仮タイトルや骨格すらない、ごく僅かな、時には意味をなさないいくつかの言葉の羅列と、それに寄り添うコードネームばかりで、さながら作物の若芽みたいだった。芽が出て膨らんで・・という推移がわかって面白い。この頃芽が出始めた曲はうまく育ったものはアルバムに入るし、そうでないものは今でももう少し伸びるのを待っている。この頃のノートには、「トマト(仮)」と、「Galaxy (仮)」とある。トマトは青山陽一さんと言うシンガー、ギタリストのアルバム「Blues for Tomato」からリズムパターンの着想を得たので、この仮タイトルにした。録音が終わって振り返ると、全然違うなと思うのだけど・・違ったものになるのものも面白いと思う。別の人間がやってるんだから当然と言えば当然なのだけど。Galaxyは、The Bandの「Music From Big Pink」の空気の手触りというか、漂う雰囲気が好きで、そこになんとなく70年台のレトロフューチャー感というか、あの頃の宇宙への憧れを感じてその仮タイトルにした覚えがある。トマト同様、全然違ってるのだけど。

 ギタリストとしての活動中は、人が創りたい物を一緒になって取り組んできたけど、一人で曲を作るようになってから、曲を立ち上げる時にいくつかパターンがある事が分かってきた。その中で面白い発見だったのが、暮らしの中の癖から創る、だった。思い返せばその1でも書いた、葦(仮)もそうで、葦の場合は無意識に右手の指で膝やハンドルなどを打つリズムから広げていったし、トマトの場合は膝を叩いで笑ったり、リズムをとったりする時の、膝を打つ触感と振動と音が、前述したアルバムのスネアの音に似ていたことから思いついた。暮らしの中にも音楽がある、というは実は逆で、音楽≒音≒空気の振動の中に、暮らしがあるんだと思う。だからこそ漂う音を楽しむために手繰り寄せて鳴らすのが音楽なんだなと思う。音も暮らしもどちらも今ここにある現実のことではあるのだけど、僕らはどうしても目に見えない、手に触れられないものを、抽象と捉えているように思っていて、その抽象と現実を行き来する中に、美しいものがあったり、自分を導いてくれるものがあったり、癒しや慰めがあるんじゃないだろうか。そのあわいの一つの側面として、音楽や絵画や造形や建築など、様々な芸術が存在している。僕という音楽家がひとりで映し出せる側面はあまりに小さいけれど、いろんな人がその中から創造性を汲み出せたら、もっとみんなが面白がれる世界が作る事ができるんじゃないか?そのきっかけになれたら嬉しいと思いながら曲を作り、ギターを弾き、この文を書いている。
 

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