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the Odyssey その1

2021年5月
 前回の投稿で、振り返りも含めて、と書いてから、アルバム制作の第一歩はどこだろう?と、考えた時、ここだな、というポイントがあった。
 前作の4曲入りEP『グッド・バイ』を4月27日にリリースして、発送作業も落ち着いてきた5月中旬、近所に住む友達の勧めもあり、リリース記念イベントをすることになった。やろう!と思い立ったら、馴染みのあるライブハウスがsnsで企画を緊急募集しいる旨の投稿(当時は何度目かの緊急事態宣言中で、イベントが軒並みキャンセルになっていた)があり、渡りに船と飛び乗り、5月29日に東京小岩のライブハウス、ブッシュバッシュでリリースパーティーを開催した。
 まだ自分の持ち曲がEPに収録した4曲だけだったので、弾き語りとはいえ、ワンマンライブをやるには全然足りない・・カバーで繋いでも半分以上カバー曲なると気がついたので、急遽新曲を作ることにした。とにかく時間がなかったので、こだわり抜いて作る、というよりは出てきたものを素直に表現する、という作り方だったと思う。それが今回のアルバムに収録される予定の、『葦(仮)』と、『秘密(仮)』である。
 葦の方はギターから作ったと思う。曲のキー(調性)の事はあまり考えず、自分の好きなようにコード進行を組み立てて、その上になるべく滞りなく流れるメロディーを乗せた記憶がある。ギターを体になじませる必要があったので、2週間くらい、1日の中で5分でも空いてる時間があればこの曲を弾いていた。そういう事ができるのがギターという楽器のいいところだと思う。いつでも気が向いた時に手が届く楽器。歌詞も同じような感じで、鼻歌に近い状態のメロディーラインの母音に、上手くはまるような言葉、単語を埋め込んでいった。和音の動きたいように動かせて、歌詞も見える景色からあまり操作せず、見えたものを置いていき、楽にとまでは言わないが、あまり苦しまずに作った。そんなようにして出来た曲が、後々大きな変身を遂げ、録音工程の最後まで残ることになった。
 秘密は歌い出しのメロディがスマホのボイスメモにあって、そこから慣れたコード進行で、それがたとえ使い古されたパターンのものだったとしても、手がすんなりと動く通りに作った。割りにのほほんとした曲調になったので、歌詞はちょっとドキッとする言葉にしたいと思って書いた覚えがある。
 結局ライブ当日は、収録の4曲、新曲2局、カバー曲2曲。のんびり話をするコーナーなども設けて、1時間ほど。お客さんは、以前から足を運んでくれるお客さん、最近知り合った友達、昔からの友達、音楽と関係ないところで知り合った友達など、10人ほどではあったけど、意外と偏りなく、いろんな繋がりの人が集まってくれた。終演後、(時間的にも世間的にも)打ち上げをできるような状況じゃなかったのでタピオカ店でお茶した時、友達にその話をしたら、それは成功だね、と言ってくれたのが嬉しかったことをよく覚えている。

 ライブ中のMCで一つ思い出話をした。カートヴォネガットを引き合いに出して、彼はどうして物語を書くのか?という自分への問いに、突き詰めると姉のためである、と答えた事があった。確かタイタンの妖女の後書きだったと思う。そして、果たして自分はどうしてギターを弾いてるんだろう?と考えたときに、母親の顔が浮かんだ。家の物置から母親のギターを見つけて、父親に簡単なコードを教わりながら弾き始めて数週間の、まだ指がヒリヒリ痛む頃、居間で練習してたら、風呂から出てきた母親が「あらお父さんが弾いてたのかと思った。」と言った事があり、その時に、大きな喜びに包まれたことをよく覚えている。という話をした。
 その時はライブ中の興奮もあって、その思い出話について深く考えなかったが、今思い返すと、僕にとってのギターは、人に認めてもらうツール、ということだったのかもしれない。その一番認めてもらいたい人が、母だった。
 もう少し小さい頃の記憶で、家族の会話の中で母親が、「世界で一番好きな人はお父さん、二番目は子供たち、だからあなたたちもそういう人を見つけなさい」と言った事があった。子供ながらにショックを受けて、小さいまさやくんは傷ついたと思う。でもその時の傷が僕をギターに向かわせたし、頑張って練習して来たし、実際曲がりなりにもプロとして演奏できるようになった。ギターと音楽を頼りに多くの人と出会い、今の自分と家族と人間関係を作ったと思う。
 あの時の母親の言葉は子供自分に傷ついたとは言え、一つの真理だと思う。子供はいつか大人になり後ろを振り返らず進んでいく日が来る。傷を受けながら、受けるからこそ人は成長するし、幼い頃に受け止めきれずに隠した傷を見つけることでも成長する。成長の機会が与えられたんだと今なら思える。
 ギターを手放そうとは思わないが、弾くための心持ちはだいぶ変わったなと思う。前ほど俺のギターを聴け!と思ってない(そんなこと思ってたんかい、笑)し、ギターの上手さで褒められたいと思わなくなった。ギターは音楽をより良くするために一番上手に扱える楽器で、自分の表現を音にするための道具に段々変わってきたと思う。ところでずっと「ギターを弾き始めた」きっかけの話をしていて、音楽や歌の話は全然していない。それはギターという楽器を始めるきっかけは何となくそこにある事は分かったけど、表現したい、と思ったきっかけはもう少し小さい頃の記憶にある、と思わせてくれるような繊細な寄り添いの気持ちを持った出来事の思い出がある。

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