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ベトナムの住所の表記方法はかなり良い、という話

面からたどるか、線からたどるか

日本の住所表記は通常は以下の感じ。
 地番:○○町23番地
 住居表示:○○町2丁目3番4号(2-3-4)
都市部とかで住居表示が施行されていると、丁目から街区(=番)、街区(ブロックに相当)内で順番に振られた宅地の番号(=号)と絞り込んでいくことで目的地を絞り込むことができる。

一方、ベトナム(ハノイ等北部地域)では、
 số 11, Ngõ 22, Phố ABC (11号,22路地,ABC通り)
 意味:「ABC通り」から分岐する「22路地」の「11号」
日本とは逆に詳細から粗い情報の順で、通り名や路地名に沿って目的地を特定できる。
路地から枝分かれするさらに細かい路地の奥にある場合だと、
 số 11, Hẻm 22, Ngách 33, Ngõ 44,  Phố ABC
 意味:「ABC通り」から分岐する「44路地(Ngo)」から分岐する「33路地(Ngach)」から分岐する「22路地(Hem)」の「11号」
という感じになる。
実際にHemが出てくるのは枝分かれに枝分かれを重ねた相当奥まった路地にあるので結構レアケースだ。なお、上記はハノイのケースで、ホーチミン市など南部ではHemの位置付けが違っていて、ハノイのNgo、つまり通りから一次分岐する路地に相当する。ホーチミン在住の日本人の話ではよくHem(ヘム)という言葉が出てくる。日本人御用達の歓楽街レタントン通りの路地裏あたりは総じてHemと言われる。その発音の心地よさも相俟って、ホーチミンの方ではHemは路地の代名詞として親しまれているようだ。対して、ハノイのNgoは日本人の間ではあまり会話の中に出てくることがない。その理由は2つあると考える。

その1:ハノイでは歓楽街の構造自体がホーチミンのような狭い横丁(Hem)に店が軒を連ねるかたちではないので横丁に相当する言葉を表現をする必要がない。
その2:Ngoの発音自体が日本人(外国人)にとって相当ややこしい。ベトナム語表記をするとNgõ、こいつをムリやりカタカナで書くなら「ンゴォホ」みたいな感じだろうか。難しい上に、Hem(ヘム)のようなかわいい響きとは真逆。

Ngõから分岐するNgách 

話を戻そう。
まとめると、日本では住所を面的に表現する一方、ベトナムでは線的に表現している。もしあなたが地図上で俯瞰して目的地を探すなら日本式の面的な表現の方が便利だろう。一方、もしあなたが現地にいて目的地にたどり着こうとするなら、俯瞰できないため街区(番)と住居(号)の位置を推測するしかなく、トライ&エラーを重ねながら的を絞っていく必要がある。地図を片手に現在位置と照らしながらであれば、その作業はやりやすくなるが一定の地図読解力が必要。頭の中で2次元空間を描いて検索をかけることは人により得手不得手もあろう。
ベトナム式であれば、通りのどの位置にある路地か、さらにどの位置で分岐する路地に入っていくか、その一連の関係性が人が理解できる文字列だけで正確に表現できるため2次元的な読解が不要だ。線的な空間のみ意識すればよく、それはただ数字の順をたどるだけなので推測や勘を使う余地はない。

このように、ベトナム式(実際には世界的にはこの方式が主流)は効率がよいと言えそうだ。もっとも、Googleでピンポイントで検索するからどっちだってよかろうと言っては身も蓋もないけどね。

ハノイではレアなHẻm
Ngõ 68 → Ngách 53 → Hẻm 9と確実にたどることができる

住所は細部から表現することの効率性

ところで、住所表記が日本(中国や韓国も)とは逆で、番地から町名、区名、市名、地域名、最後に国名というように、細部から粗く表記する方式は、我々日本人にとっては馴染みがないし、日本式の方が絶対イイと思っている人が大多数でしょう。僕もそうだから(だったから)。

ちょっと考えてみた。
まず、住所情報を得る目的は自らが知らない情報を補足することだ。
例えば、あなたの親友A君の家の住所:
 日本国東京都北区○○町XX番地
としよう。
あなたはA君の家が東京都北区なのはもちろん、町名までも知っている場合は、そこまでは不要な情報としてスキップして番地だけ知ればいい。ベトナム式だと、最初に XX番地 で始まるのですぐビンゴ。その後に続くより広域の住所情報を取得する必要がない。
なるほど、詳細から始まる住所表記方式は、僕らが慣れてないだけで案外効率が良さそうだ。

まあ、その国の表現の慣習(日本では、まず会社名などの所属を言ってから名乗る、とか)や文化背景も関係しているだろうから効率だけで良し悪しを語ることはできないだろうが。


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