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同担拒否ではないのにね

私は推しが好きであるし、推しはみんなのものであるから推しをみんなで格好いいねー!って言い合いたい。少なくとも私の天ヶ瀬冬馬に対しての気持ちは「神」以外なくて、神を共有できるのであればそれは良いことだと思うタイプである。

同担拒否ではない。むしろ同担歓迎である。

しかし、そういうスタンスで生きていたとしても、同担がそうであるとは言い難いというのが最近の結論となっている。

以前こんなことを書いた。

メルカリを眺めていると記念日終了と同時に謎のアカウントが現れて、同担の凄まじい数のグッズが売られていることがある。

しかも転売価格で。

それを見てたまに「もしかしてあの人かなぁ」と心当たりを感じつつ、自分の身を振り返ってみた。

管理しきれないグッズ量を買う人に対しては「なんだかなぁ…」といつも思うけど、自分の金でも管理でもないので言及しない。

同担で箱10買いました!箱30買いました!みたいな人が現れがちな推し。そうしてメルカリでは記念日が過ぎると転売価格で推しが売られる。推しの名前で検索すると(検索にミュートが効かないので)その同担が出てくるので在庫数をみざるを得なく把握しているのであるが、その限りなく同担の在庫数で「あっ…(察し)」になる。記念日過ぎたらグッズを売るのは正直露骨だと思っている。

天ヶ瀬冬馬を推すこと、というより、高レートのキャラのグッズを大量に持っているアタクシのために買われているグッズたち。とりあえずIDカードは最新のグッズの箔とか、わんぱくなくらい入れ替えている。大切に扱って欲しいものであるが、それがアイデンティティなのだろうから、それで終えているのかという状態。

「●●との交換は可能でしょうか?再交換します」

ぱしゃこれで見る箱を死ぬほど買ってる人の常套文句であるが、お相手は「あ、この交換はあなたにとっては私の推しを掃けさせたいだけなのね」みたいにならないのだろうか。自分は今回高レートの子達だけに対しては箱の少ない人を検索して滅茶苦茶探して声をかけた

(楓さんは協力者のオタクの方がいるので集めているのと、何枚かは自分用に保存する。みのりは本当は仲良くしてくださってるみのりPへ送ろうかと思っていたけど、みのりレートが高くて一箱で路頭に迷っている人を見つけたのでその人に声をかけた。高レといえばの雨彦さんは今回珍しく普通のレート?っぽかった)

楓さんもみのりさんも同担も、数十箱買って、それで交換をガンガンしてる人はいる。20万も飛ばしてるよこの人になったし。ただ、こういう人がいるとさらに高レートというのが加速するのである。
(特に楓担とかみんなが一気に30-60とか70とか箱買いしてて、箱数少ない健全な人たちが気の毒になる)

同担で異常に交換してる人がいれば、それによりレートを上げて良いと思う人(メルカリの転売屋等)ができる構図が確実に最近生まれている。この現象を作ったのは限りなくそういう異常な購入主たちだと思うし、個人的にはこうした現象に対して良かれと思っていない

マウントを取るために必死になる感じの推し方に愛を感じない。お前の道具じゃねえんだぞ天ヶ瀬冬馬はって言いそうになる。

こういう人たちはどういう人であるのかを個人的な分析していると以下なのではないかと推察している。

・現地で当事者を見た限り服装が見窄らしいので基本的にはお金はない→若干最近「借金してまで買ってないか?」と邪推している
・同担は現地で見た限りふくよかな体型をしているケースが大半なので、自分の身体すらのマネジメントができていない→身体は資本ですからね…特に鬱になって思いました……
社会的に成功しているわけではないので、こういうグッズでしかマウントを取ることができない所謂社会的な弱者

結局のところものに対してとか他者に対して期待をかけることでマウントを取る人って、自分に対して何も誇れるものがないからそうすることしかできないのですよ。例えば、自分が本当に優れた思想を持っていたり、優れている人であればマウントを取ることでアイデンティティを確立するような推し方をするとは思えないし、仮に自分ならそうしたオタ活は恥ずかしくてできない。

社会的に弱者だからオタ活でしかマウントが取れなくて、同担にぶいぶい言わせてる強いアタクシをやるしかできない。多分会社ではボロ雑巾のようになっているからそうするしかできない。それは健全なオタ活なのだろうか?

オタ活は日々を彩るために存在しているとは思うが、日々の鬱憤を晴らすために推しを利用する人を見ているとなんというか言葉にならないし、個人的には下品だという印象を受ける。そこには愛がなくて下品さしかないのだ。

それこそ現地に天ヶ瀬冬馬の女オタクや男のオタクがいたので様子を見た時、何故かマウントをとりがちであり、何故か仲良くできそうになかった。もちろん、そういうオタクばかりではないことは事実である。

しかも大体同担は私より年上。私が出会った同担は大体服装がボロボロなふくよかな40代くらいのおばさん、おじさんたち。この天ヶ瀬冬馬のファンのおじさんはおそらく「奇跡的に天ヶ瀬冬馬に対してアンチの感情を抱かずに済んだみんマスさん」なんだと思う。

冬馬を支えているというのはありがたいのだけどさ、天ヶ瀬冬馬を出汁に自分の自尊心を高めるようなグッズの集め方とかされていたり、同担を札束で殴れば云々みたいなやり方は自分からすると「お前…もっとやることあるだろ…天ヶ瀬冬馬はお前にグッズを大量に買ってもらって目標に達成することは望んでいないだろう。彼は『俺は全力で目標に向かうから、お前らも一緒に目標に向かって努力しようぜ!』みたいな男だろ…」となる。

グッズで同担の別の人に対してマウントを取ることは彼に対しての愛ではなくて自己愛の一種であり、それは冬馬が好きだからやっていることではないと思う。祭壇でグッズだわわわわわわを見てると、(そりゃ自分もやればできるほどグッズは持っていてやらないけど)なんだろう、推し方に品がないなと思うのである。

個人的にそこの線引きというのをかなり重要視していて、他担夢女子さんでも「彼がいるから努力してこうなりました!」とか「彼のおかげで世界が広がってこうしました!」「彼のモチーフを作ってみました」とかそういう人はめっちゃ素敵だし好きだけど、「彼が世界で一番好きだからグッズを集めたんだし世界で一番幸せにしろ」的ヤクザに見える人がいるし、お前〜〜〜〜になる。マジで。

そういう人たちの末路が借金祭壇なのかなと思っているくらいには。

…先程見た目について言及することは人として最悪だと認識しているが、どうしてもグッズで死ぬほどマウントを取られていると、そちらについてもイライラしてしまうのは私は歴史の偉人ではなければ聖人君子ではなく、ただの平凡な人間なので許して欲しい。社会的な弱者だからオタ活でしかマウントを取ることができないのだろうと思うところがあり、そうでなければクリエイティブな方に発散するような感じがしてならない。

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