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「人間嫌い」がVRChatを5年続けている訳


最初に

この記事は、VRChatを始めて丸5年を迎え、6年目に踏み出そうとしている「人間嫌い」な私の自叙です。

はじめましての方ははじめまして。
知っている方はお久しぶりです。
まきなです。

今回、VRChatで一応の節目といえる5年を迎えたので、
VRChatで私が感じてきた物を私の短い人生を交えて文章にしたいと思って、
この記事をしたためます。

始めに私の人格や人生についての独白、
その後にVRChatで過ごした5年間について記述します。


「人間嫌い」

そもそもの話ですが、前提としてVRChatは
ユーザー同士のコミュニケーションに重きを置くVRSNSです。

(ほかにもワールド要素・ライブ要素・アバター要素等ありますが、ここでは省きます。)

フレンドを増やし、人脈を作り、ワールドでそういった人達と、
会話や交流を楽しむ。

いつでもどこでもVRChatでは、そういった光景が広がっていますし、
当たり前のようにそれを楽しんでいるユーザーで溢れています。

しかし実をいうと、私は5年前にVRChatを始めた当初、
この文化に愕然とし恐怖していました。

誰も彼もが不特定多数の人間と会話し、交流し、それを楽しんでいる。
それは私にとっては「現実」そのもので、現実での交流が嫌いだった私には
悪夢とすら言えるものでした。

では何故現実の交流が嫌いだったかというと、
私は「他人が嫌いだから」に他なりませんでした。


自叙

ここからは私の生い立ちの話になりますが、
私は幼少期から非常に感情的で喧嘩早い母親と、
一切家庭に関わろうとしない内気な父親の元で育ちました。

経済状況も間違ってもいいとは言えず、
常に母親の怒鳴り声と夫婦喧嘩が日常で、
「教育」と称して殴る蹴るの暴行はまだよくて、水をかけられて家の外に出される、焼いた包丁を腕に押し当てられるなどの、今だったら児童虐待になるであろうことも色々ありました。

父親に助けを求めようにも「俺は子育ては分からない」「子供は理解できないから俺に近寄るな」「母さんがやってるから正しいんだ」の1点張りで、

結果小さい頃の私は、「大人を怒らせてはいけない」
「大人への憎しみ」だけを覚えて育つようになりました。

そしてその後中学生~高校生となってもそれは変わらず、
加えて「習い事と塾をたくさんさせれば立派な人間になる」という
親の教育方針の元で育てられました。

他の子供との交流も制限され、約束もできずに予定ばかり入れていると、
当然のように子供ばかりいる環境ではいじめられます。
(加えて、私の外見が良いとは言えない物だったのも大きいと思います)

当然ながら私自身にそれら習い事をやりたい気持ちもなく、
やる気もないのに習い事や塾をたくさん行った所でいい成績を出すなど
無理な話で、結果としては親の失望を買うだけの結果になり
「真面目にやれ」「そう育てた覚えはない」
「こんな風に育つならお前は生むんじゃなかった」と散々言われました。

この辺りで私は、
「今の自分に金はなく、親に養われている限り見限られたら家を出されて
死ぬことになる」
(テストで悪い点数を取るなどして1~3日程度家に入れて貰えない事が複数あったため)
「いじめを親や学校に報告したところで、今後の自分の学校環境が悪くなるだけだから意味はない」
と思うようになっていました。

そしてある程度視野と自由度の広がった20歳前後の頃には、
「一切他人に期待はしない。親も大人も同年代の人間も屑しかいない。
屑に期待するだけ労力と感情の無駄。
何もやる気はしないけど、投げ出してグレた所で自分の人生に不都合を生むだけの話だし、悪事を働いた所でその後の自分が罪悪感で何もできなくなる。何もかも面倒くさい。」
と、拗らせ系大二病とも言える捻くれた価値観を持つようになります。

その後なんとか社会に出る事になりましたが、
大して頭も外見も良くもないのにそんな調子で人と距離を置く人間が、
上手く社会に馴染んで行けるはずもなく。

散々仕事と、大人になっても干渉してくる家族に苦労した結果、
VRChatを始める頃には
寂しがりな癖に人と距離を詰めるのは怖く、
初対面の人間には極度の敵意と警戒をもって接するため、
初対面の人間にすら「何がそんなに気に入らないんだ」と不快な印象を
与える、とても厄介な大人が出来上がっていました。


VRChatとの出会い

そんな頃のことです。

その頃、私はPSO2というオンラインゲームを長きに渡ってやっていました。

ある日、暫くログインして居なかったフレンドがログインしているのを
たまたま見かけ、話をしていた所
VRChatなるものでとても楽しんでいるためログインが減った、
と聞きました。

正直当時の私は、自分の声が嫌いなのと、人と声で話すのが苦手なため、
のコミュニケーションを嫌悪していたので、
フレンドから伝え聞く限り、基本的に声でコミュニケーションをする
VRChatに一切魅力を感じては居ませんでした。

それでも、技術分野の仕事に就いていた私にとって「VR」という技術には
多少の憧れがあったため、そのフレンドに押し切られる形で
試しにやってみようという話になり、私の声は出さない条件の下、
デスクトップモードとDiscordのメッセージチャットで連絡を取り合う
今考えると妙な形でVRChatに初ログインすることになります。

分からないなりにチュートリアルを終えてなんとかフレンドと合流し、
初めは、フレンドオンリーインスタンス(友人同士のみ入れる場所)で
話していましたが、

私はまずもってそのフレンドの様子に驚いていました。

その友達は「ファジーちゃん」という小柄で可愛い少女のアバターを使っていて、かつはっきり男と分かる、それでいて女性に近い高い声で私と会話していました。

…VRChatユーザーの方であれば、
その時の私の感情が理解できる方も少なからず居られるかと思います。


はっきりいって、訳が分かりませんでした。なんやねんこれ。


全く未知の文化に触れた感触と言いますか…

当時の私には「そういったもの」として肯定できるだけのキャパが無く
思考停止しながら「ああ…うん…すごいね…?」といった雰囲気で、
ちまちまとフレンドと遊んでいた折、

ある時そのフレンドが別の人に、パブリックインスタンス(誰でも入れる場所)に呼ばれ、「どうせなら一緒に行かないか」と誘われました。


この時が色々なもののきっかけだったと思います。


誘われるままに移動し、
今でも現存している「Japan Street」に降り立った瞬間、

そこに広がっていたのは、当たり前にボイスチャットで会話しあう、様々な姿をした何人もの人たちと、そこに混ざっていくフレンドの姿でした。

当たり前の話なんです。
その時点で、フレンドから「色々な人が色々な姿で、声同士で会話してる」と聞いていましたから。


ただ、それが現実に行われている光景を目にしただけ、
そしてそれを当然のように行うフレンドを目にしただけの事です。

しかしどこかで、私はVRChatをそれまでの私の遊び方に沿うような、
「仲のいい人だけの閉鎖空間で交流し合うツール」だと決めつけて居たのだと思います。

それを見た瞬間私が感じたのは、
声で会話し合う人達への恐怖と生理的嫌悪感、
そしてこともなげにそれをこなし、私をその輪に誘うフレンドへの、
「それが出来るなら私はこんなに苦しんでない」という強烈な嫉妬でした。

恐らくですが、
私はこの時初めてVRに「現実」と「生身の人間」を感じたんだと思います。


思えばそもそも「他人との交流」を嫌って、自分に不要なものとして来た私が、VRChatなんて物に触れたらどうなるかは、予想できた話でした。

それから暫くの間は、「余計な事をした」「嫌な物を見た」という
後悔とも、生理的嫌悪とも言えない気持ち
に囚われ、VRChatそのものから距離を置く生活を送っていました。


1歩を踏み出すまで

それなりに時間が経ち感情にも整理がついてきた頃。
私の頭にあったのは「あのフレンドがうらやましい」でした。

自分の現実の体にコンプレックスがあり、
他人嫌いな癖に友人が欲しいという継ぎ剥ぎな寂しがり
だった私にとって、

「現実とは違う姿で」「色々な人と声で自然に交友関係を結べる」
というのは、喉から手が出るほど欲しい環境でした。

日に日に、VRChatで人と知り合って楽しく会話してみたいという気持ちが募るものの、これはユーザーの間では周知の事実ですが、
VRChatはまず敷居が高い。

VRモードでするなら高価なVR機器が必要ですし、
仮にデスクトップモードでプレイするのであっても、
本気でゆっくりボイスを検討するほどに自分の声が大嫌いだった私は、
ボイスチェンジャーを用意する必要がありました。

VR機器は必要に応じて用意するとして、
声での会話を避けてきた私にマイクやボイチェンがあるわけもなく、

フレンドに相談して必要な機器を選んでみても、当時仕事に失敗し、
低収入まっしぐらで実家住のため
毎月親に収入の半分以上を渡していた私にとっては
覚悟が要るどころか、頑張った所で到底足りない金額が
目に飛び込んできました。

低価格のマイクとボイスチェンジャーだけならともかく、
VR機器を買おうというなら半年以上趣味にお金を使わず、
かつ食費を削らなければならない状況に追い込まれるのは目に見えていて、


流石にこれは諦めた方がいいかなと暫く考えていたものの、
理屈では納得できないのが人間です。
なかなか羨望の感情が消えてくれません

悶々とした期間を過ごした挙句、
結局「やりたい」という気持ちが爆発した私は
私は安価なマイクとボイスチェンジャーを用意して、
デスクトップモードでもやりたい!と思うようになり…


再度VRChatをする決意をしました。


ここで面倒な性格だった私は、
きっかけとなったフレンド経由で交流を増やすという選択を「近くにいると嫉妬で嫌な言動をしてしまいそうになる」という
よく分からない自分勝手な理由でその案を捨てて、
「めちゃくちゃ怖いけど、自分一人で交流してみよう」
極力ソロでVRChatをプレイする事にしました。



結果的に、これが大正解だったと思います。



知人でもなんでもない赤の他人である自分が、人の輪に飛び込む
というのは私にとっては本当に怖くて、

それなりに心無い言葉をかけられたり、
「やってられるかこんなもん」と思う事も多々ありました

皆、VIVE PROだのValve Indexだの高価なVR機器を当たり前に持っていて
「デスクトップだからと負けてなるものか」
現実の顔をモニターの至近距離に持っていって視界だけでも疑似VRをしようとしたりもしました。

ほかにも、人の優しさに触れる機会があったり、
PSO2から私を知っていた人達との交流もあったり、
この頃に前パートナーであるターキーちゃんと出会うことが出来たりして、

ようやく初のVRHMDを購入する頃には、
(あくまでVRChatにおいてですが)
知人や友人との交流には嫌悪感を感じることはなくなり、
全く知らない赤の他人との会話においても、
過剰に警戒して逃走するような事は無くなりました。


そして現在

それからまた数年たち合わせて5年経った今、
何か変わったのかと問われると、正直あまり変わっていません。


今でも現実VR問わず、他人は嫌いだし怖いです。
それは多分、今後絶対に変わりません。


ですが、この5年間の内に
私がVRを経由してつながる人間関係は大きく広がりました。
その人たちの事は、他人とは思えないし、私にとって大切な人たちです。

そして、初めは他人と思っていた人の中にも、その後の交流の中で
大切に思える人が居るという事実。
更にその中に、驚くべきことに唾棄されるべき私を好きで居てくれる人がいるという事。
これらはVRChatをやっていなければ絶対に知り得なかったと思います。


良く知りもしない他人を自分にとって嫌いな人と決めつける行為の浅慮さを今更ながらに感じています。


今の私は他人が嫌いで怖いけれど

それはあくまで自分の偏見と恐怖によるものであって、
それを理由に他人と距離を置くばかりでは、後に大切に思える人をすら拒絶してしまうかもしれないから、
他人であってもまず人となりを知ってから、自分にとっての好悪を判断する事が一番大事と思っています。

最後に

私の他人嫌いは改善した…のような書き方をしましたが。
実際のところ全くと言っていい程改善していません。

結局の所、私の人生で積み重なった他人への偏見は、
そのまま私が好ましく思う人の条件を狭めていて

それは決め付けることなくまず人を知ってから好悪を決めるようにした所で、狭まって曇りきった私の色眼鏡では好ましく思う人がそもそも少ない
という事態に繋がってしまっていました。

なので、人を知りたくて歩み寄っているのにそれ以上近づけないという、何ともまぁ残念な状態になっているのが今の私です…

これを進歩というのか退化というのか、私自身何とも言えませんが…

少なくとも、実は好ましく気の合う人が居たとして、
知り合う前から関係を断つような事はしないで済むようになったのかな、と思っています。

それでは。散文ながら、閲覧いただきありがとうございました。


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