豊かになれない諸悪の根源的ワード

久しぶりにイライラしてました。

夕飯前にお皿を洗いながら
当然のように、待っていればごはんが出てくると思ってんじゃねーよ!と息子の態度にムカついてムカついて。(息子はただいつも通りいるだけw)

当然のように作る義務なんてないんだからな!って腹が立って腹が立って。

(要するに作りたくないのね(笑))


こういう時は極力息子とは接しませんし話しません。

ごはんが出てくると当然のように思ってるなんて、見方によっては「信頼」じゃないですか。うれしい。

腹が立つのは、ぞんざいに扱われている気がするからで

それは紛れもなく、自分がどこかで自分をぞんざいに扱ってるからで。

と、理屈はそうなんだけど、
とりあえずこの不機嫌はホルモンバランスだろうなぁ~ってことにしました。
そうすると(子宮がないので生理はないけど)
ちゃんと『不機嫌期』がくるということは、ちゃんとまだ排卵が起きてるんだな~と、自分の女性としての肉体に感謝と安心が湧くわけです。

一晩寝れば、機嫌も直りますし。


無意識に言い続けている強力アファメーション

今、潜在意識頼みで望む現実を手に入れるべくwアファメーションをしているわけですが、

アファメーションのいいところは、元々持っている無意識の観念が浮かび上がってくるところかもしれません。

ある一言が浮かび上がってきて、
あれ?これって、、、特に悪い言葉とも思ってなかったので、そのままいさせ続けていたけど、
私がワクワク楽しんだりする上でもベースになってしまってない?
でもそれがあると、欲しい豊かさに永遠に近づけなくない?
と気づきました。

叶姉妹とマツコの番組観たからかな?(笑)


その一言とは、、、


もったいない

です。



余っているもの、残っているものを使い切るのが好きだったり、
使えるうちは買い替えられなかったり、
何かに使えそうとビンとか箱とか溜まってしまったり、

いや、それ自体は良くも悪くもないのですが、

要は、「我慢してない?」ってことなんですよね。

もったいないから、という理由のプチ我慢。

我慢とも思わないほどの、
ある意味楽しいし好きと思えなくもない、
けど実は我慢なんでは?、、、
ってやつらが、ザクザク掘り当てられました。

きゃー!



息子のアンテナ


不機嫌な夜の翌日

「昼ごはん食べてくる」からの「夕飯もいらなーい」との電話。

こうやって、私自身で気づかない我慢が募ったタイミングで、
彼はよく外食に行くのでした。


育った家庭の呪縛


久しぶりに両親と電話で1時間近く話しました。

久しぶりに話したら、、、こんなにキャッチボールができなかったっけ?と違和感だらけでした。

それにも全く気づけなかった、今まで。

そのコミュニケーションパターンの中で、波風立てずに生きようとしていた頃の私を、両親は「私」だと思っています。当り前よね。

その「私像」が、今の私には窮屈で仕方なかった。

それこそが私自身が自分に課してきた「枠」なんだなと実感しました。


私自身を理解してもらえない感満載だし、
私が大切にしたい意見は受け容れてもらえない感じだし。

それが両親に対して「あなたたちの娘」を表現し続けた自分の蒔いた種なんだわ、、、と。


もったいないは美徳、ぜいたくは敵


家庭もある意味、洗脳だし信仰みたいなものですね。

親から受け継いできた価値観などに疑い始めるのが思春期だったりで、
自分の価値観を確立する闘いが反抗期だったりで。
(反抗期って言葉はマジで嫌い。従わせたい親目線の言葉だもん。自立期だよな絶対)

その闘いを怠ってきてしまったんですよね。。。

事なかれ主義で育ちました。怒らせぬよう、怒らせぬよう。

その習慣性は今も根付いています。

自分の独立のために、時には奮い立たなければいけないな~と思います。


マイ教典、マイ聖書、そう、私だけの聖典を探す!まさにそんな感じです。


ここ3日ほどのこと、つらつらと吐き出しました~。



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