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腑に落ちるという軽さ


一つ前の記事に書いたように、
(私はいわゆる発達障害なのもしれない)という可能性が生じてから、一夜明けての今日。

いつもの職場へ。

いつもの仲間と。

そこで、昨日までと違う、感覚の違いを感じました。


私でいやすい!


なにか言葉を発するのに、いちいち何かを伺うブレーキがあったようだったのが、
今日は、スムーズに、すぅっと、言葉が出ていた。

あれ?なんだか、心が軽いな〜。

いつも、ほんのちょっと気にしていたことが、ない。



私はどうせ普通にはできないし。

私のことはどうせ理解はされないし。

一見、ネガティブなようだけど、
この諦めのようなものが、心を吹っ切らせてくれた。

好きなようにい〜よう、って。

とても軽やかに、私でいられた。


そして、仕事はとてもスムーズに進んだように感じた。
作業ペースはとてもゆっくりだったけど。

そこに対して、ずっと拭えなかった罪悪感もなかった。私は私の丁寧さで、確実に一つ一つの作業に当たれているという自覚しかなかった。

本当に軽かった!

でも忘れ物をして帰ってきたこと、帰り着いてマフラーも外さずにこたつで寝入ったことから、
やっぱりそれなりに疲れていることにも気づけた。

そんな自分の様子にも、ただ、ただ、労えた。


だって普通にするの、大変だしね。

頑張ってるよね。

って。


自分を知る


もうなんだか、セルフイメージが、自分の姿と一致している感覚で、

私が私をちゃんと見えてるって一致感で、

なんだか終日、嬉しくて、心がニヤニヤしてた感じでした。


『うんうん、ちゃーんとわかってるよ。』

ずーっと、私の中に、その言葉というか、エネルギーが満ちているようで、

絶対的安心感ってこういうことだったのか〜と、満たされた一日を過ごしました。


自分の姿をそのまんまに認識する、受け容れる、ということのパワフルさを久しぶりに実感できた、貴重な体感でした。


明日は、なんだかいいセッションになりそう。
楽しみ。


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