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形あるものは壊れる

10年近く使っていたご飯茶碗を落として割ってしまいました。
質感も形状も絵柄も気に入っていました。
微妙なカーブが、持った時すごく手に馴染んで使いやすかった。
だから、割れてしまったことはとても残念でした。

娘が通っている園では、給食時は陶器を使用しています。
もちろん落としたり雑に扱ったりしたら割れるのですが、
乳児から幼児まで全クラス統一で行われている食育の一環で、
「形あるものは壊れる」ことから、ものを大切にする気持ちや食事のマナーを学んでほしい、
という系列園共通の方針です。

入園説明会で園長先生がこのことを説明してくださり、
この方針に共感したし、この園に入園させることができてよかったなと思ったものです。

壊れてみて、さっきまでそこにあった“もの“の存在の大きさに気づいたり、
その“もの“への自分の思いに気づいたりします。
そして、壊してしまったことを後悔したり、扱い方を反省したり、
壊れてしまったことを残念に思ったり、悲しんだりしながら、
次はもっと大切に丁寧に使おう、と心に刻んだりします。

逆に、それしか見ていなかった視野が急に広がって、
もっと便利なものやもっと素敵なものに出会えることもあるかもしれません。

でも、“壊れる”のは物質的に存在するものだけではないのですよね。
家族や友人といった人間関係、
それに最近は特に、人の心や社会の秩序なども
“壊れる“ ものなのだと思い知らされます。

人間関係なんて、結構脆くて儚いものです。
あっけなく壊れてしまうことも、珍しくありません。

人の心も、実は簡単に壊れてしまう。
だからこそ、自分自身も含めて、
特に家族や友人など身近な人に目を配り、気持ちを注ぎます。

壊れる前にそうならないよう導いたり、壊れてしまった心を癒したりできるのも、
きっと誰かの人の心なのではないか、
壊れやすいけれど、人の心にはそんな力もきっとあると、信じたいです。

さて、割れてしまったご飯茶碗。
代わりに、それこそ10年近く箱に入ったままだった頂き物のご飯茶碗が、
このたび日の目を見ることになりました。

そういえば実家の両親も、同じご飯茶碗を長年使い続けています。
気に入っていることはもちろんだけれど、
割れたりしなければ、ご飯茶碗ってそうそう代えないものだな
というのも、今回の発見です。