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どうして保育所での虐待を防ぐことができなかったのか―第三者評価と指導監査の課題

静岡県裾野市のさくら保育園で元保育士が園児に虐待をしていたことで、保育士が逮捕されました。これを受けて静岡県と裾野市は、さくら保育園に対し、児童福祉法に基づく「特別監査」を実施しました。厚生労働省も、同様の事例がないかを点検するため、全国の保育施設の実態調査を行うと報道されています。

 このニュースに衝撃を受けた人は多かったでしょう。それと同時に、保育所でどのような保育が行われているかについて、「行政は全くチェックしていなかったのか?」と疑問をもった人もいたはずです。
 
実は、今回裾野市が行った「特別監査」というのは、児童福祉法第46条に基づいて、普段から都道府県が行っているものです。普段は「指導監査」と呼ばれ、年に1回の実地検査が義務付けられています。これに加えて、子ども・子育て支援法第38条においても、市区町村による「確認監査」の実施が義務付けられています。さらにそれに加えて、「第三者評価」というのも行われています。これは、保育所だけではなく福祉サービス全般の質の向上を目的として行われているものです。つまり、保育所に対しては、これだけ多くの監査や評価の仕組みがあるのです。
 
それでは、裾野市の事件は極めてレアなケースであり、私たちは自分の子どもを通わせる保育所ではこのようなことは起こらないと信じてよいのでしょうか。
 
私は、そうは考えていません。なぜなら、仕組みとしては一見十分に見える、保育所の指導監査や第三者評価には多くの問題があるからです。本稿では、慶應義塾大学の藤澤啓子教授(発達心理学)、筑波大学の深井太洋助教(労働経済学)との共同研究に基づいて、保育所の指導監査や第三者評価の課題を明らかにしていきます。
 
まず、第三者評価です。受審が「努力義務」なこともあり、受審率が極めて低いという問題があります。平成31年に厚労省が実施した調査をもとに計算してみると、受審率はわずか7%という低さです。理由の1つは受審費用の高さにあります。1 園あたり50~70 万円が相場と言われる受審費用は、保育所が負担しなければなりません。高額の受審費用にもかかわらず、妥当性や信頼性がはっきりせず、第三者評価を受けることのメリットがよくわからないという指摘もあります。
 
全国的な受審率は低いのですが、唯一受審率が70%を超えているのが東京都です。これは第三者評価の受審にかかる費用を100%補助しているためです。私たちは、過去4年間に東京都で行われた認可保育所の第三者評価の結果(N=3,084)を分析してみることにしました。第三者評価は、7つに分類される評価項目について、「実施あり」「実施なし」「非該当」のいずれかで評価が行われます。その結果を集計したのが表1ですが、ほとんどの項目で95~100%という高い割合で「実施あり」となっていることがわかります。特に、カテゴリー1(リーダーシップと意思決定)やカテゴリー6(サービス提供のプロセス)は100%の保育施設で「実施あり」となっており、保育所間の差はないという状況です。

表1:東京都の保育所の第三者評価の結果(2018~2021年度、N=3,084)

では、東京都の認可保育所のサービス内容や質には「差がない」と判断してよいのでしょうか。このことを検証するため、私たちの研究グループは、東京都下のある自治体で、市内の全認可保育所(14園の5歳児クラス)を対象として、2020~2022年の3年間にわたって「保育環境評価スケール」を用いた保育の質の評価を行いました。「保育環境評価スケール」(Early Childhood Environment Rating Scale, 3rd edition, Harms et al., 2015; 埋橋訳, 2016; 以降 ECERS と略記)とは、幼児教育・保育の質を定量的に評価する尺度です。認知発達理論や愛着理論を基盤にアメリカで開発されましたが、今では北欧やアジア、アフリカなど様々な国での幼児教育・保育の質のモニタリングに用いられています。2名以上の観察者が保育所を訪問し、3時間半程度の観察を行います。ECERS は 6 つのサブスケール(「空間と家具」「養護」「言葉と文字」「活動」「相互関係」 「保育の構造」)にそれぞれ 4~11 の具体的な項目が計 35 あり、各項目には 15 前後の指標が 計 461 含まれるという構成になっています。これらを集計して、最終的には1~7点のスコアで質の高低をあらわします。1点であれば「不適切」、3点であれば「最低限」、5点であれば「よい」、7点であれば「非常に良い」という評価になります。この自治体の認可保育所の第三者評価はほとんどすべてで「実施あり」となっており保育所間の評価に差がありませんが、図1でECERSの結果を見てみると、保育所によってかなり差があることがわかります。

図1:東京都のある自治体の認可保育所における「保育環境評価スケール」の結果

例えば、下記の図2から明らかなとおり、カテゴリー1(リーダーシップと意思決定)はこの自治体のすべての保育所で「実施あり」となっていますが、ECERSのスコアでみると、「最低限」に近い保育所から「よい」を超えている保育所まであるということがわかります。

図2:第三者評価とECERSの関係

なお、私たちの研究グループは、複数の自治体の認可保育所でECERSを用いた評価を実施しています。下記の論文は、上記の東京都の自治体とは別の自治体の認可保育所を対象に実施したECERSの結果を分析したものですが、同じ自治体内であったとしても、保育の質のばらつきは大きく、保育所間で差があるだけでなく、同じ保育所内でもクラスによって、あるいは計測した年によってばらつきがあることが分かっています。

第三者評価は保育の質の高低を測っているのではなく、「最低限の基準を満たしているかどうか」をチェックしているのだという見方もあるかもしれません。しかし、ECERSの結果を6つのサブスケール別に見ると「最低限」の基準である3点を切っているところもあり、果たして本当に「最低限の基準」のチェックができているのかということも疑問が生じます。
 
第三者評価は、なぜ保育所間のサービスの差がほとんどないという結果になるのでしょうか。評価は登録された民間事業者が実施しますが、保育施設と民間事業者の間での直接契約することになっています。このため、事業者が翌年以降も同じ保育所から評価を受託したいと考える場合は、悪い評価をつけにくいというのが実情です。また保育所側と合意した結果についてのみ公表されることになっているので、保育所側に不利な結果は公表されない傾向もあります。第三者評価の一環として、保護者に対するアンケートも行われていますが、保護者による評価は保育所ごとにかなりばらつきがあります。このようなことを考えると、東京都の認可保育所のサービス内容や質に差がないとは言えません。
 
当然のことですが、ECERSによって計測された保育の質と、第三者評価の評価結果の間には全く相関がありません。私たちの研究グループは市内の認可保育所に通う子供たちの発達や就学後の学力についてのデータも取得しています。表2でも明らかなとおり、ECERSと発達や学力の間には統計的に有意な相関がある一方、第三者評価(表3の「組織マネジメント」)の結果には相関がありませんでした。それでは保護者による評価はどうでしょうか。残念ながら保護者による評価(表3の「利用者調査」)も、第三者評価の結果と同様に子供の発達や学力とは相関がありませんでした。

表2:ECERSと子供の発達、就学後の学力の相関
表3:第三者評価と子供の発達、就学後の学力の相関

ここまでは第三者評価について議論してきましたが、都道府県が行う指導監査は機能しているのでしょうか。保育所に対する指導監査には様々な問題が指摘されています。実は、指導監査については、年1回以上の実地検査(行政の担当者が実際に保育所に行って現地視察を行うこと)が義務づけられています。しかし、自治体の人員不足から、実地検査の実施率は低く、都道府県側は、実地検査を廃止し、書面のみの監査とするよう要望してきていました。この結果、政府は「地方からの提案等に関する対応方針」(平成30年12月25日閣議決定)において、「児童福祉施設に対する施設監査(中略)については、地方公共団体の事務負担の軽減を図るため、利用者に対する処遇の質の確保に留意しつつ、監査事務を効率化する方向で検討し、2019 年度中に結論を得る。」としました。つまり都道府県の要望に従って、なし崩し的に保育所の実地検査を廃止しようとしたわけです。
 
そして、厚生労働省は、児童福祉法施行令の一部を改正する政令案で、現行の指導監査を「書面のみの監査でも可能とする」という規制緩和を検討し、2022年1月にパブリックコメントを受け付けました。280件の意見が寄せられましたが、実地検査を廃止し、書面のみの監査とすることに賛成する声は1件もありませんでした。下記は、実地検査の廃止に反対するコメントの1つです。
 
(例)保育施設の質の低下が懸念されている昨今、原則としての実地検査をやめてしまうことに強く反対です。特に0歳児などの子どもは、何か問題が起きていても誰かに伝える術を持ちません。そして、親も保育施設内のことは、隠されてしまえばわかりえません。そんな中、実地でなくても良い、としてしまえば、問題を隠蔽しやすくするだけです。

私たちは、関東の2つの自治体で悉皆的に認可保育所の調査を行っており、1年間に80クラス以上の観察を行います。研究者やトレーニングを受けた専門の調査員が1日のうちわずか3時間半という短い時間、保育所を訪問するだけですが、日頃の保育の様子を窺い知ることが出来、多くの情報を得られます。今回の裾野市のような事案を早期発見する意味でも、実地検査は重要だと考えられます。また、子どもに対する虐待は、保育士に大きなストレスがかかった結果として生じることがあります。実地検査によって、保育士のSOSを早期に検知、発見することも期待されます。
 
また、厚生労働省がとりまとめた「保育所の指導監査の効率的・効果的な実施に向けた自治体の取組等に関する研究会報告書」によると、都道府県が行う指導監査は、指摘基準等の斉一化がなされておらず、多くのローカル・ルールが存在したり、監査員個人の主観や私見が含まれることに指導を受ける側の不満が強いことや、子ども・子育て支援法の第38条に基づいて市区町村が行う「確認監査」と重複している、といった無駄も多数指摘されています。
 
つまり、指導監査や第三者評価を通じて、「保育所でどのような保育が行われているか」をチェックし、評価する制度を整えてきたものの、実際の運用は不十分だと言わざるを得ない状況だということになります。裾野市の事件を契機として、保育所の実態調査をすることに反対するつもりはありませんが、既にある指導監査や第三者評価が有名無実化していないかどうかを検討し、改善をはかることの方が優先順位が高いのではないかと私には思えます。
 
更に踏み込んで、いくつかの提案をしたいと思います。

第一に、背景となる根拠法や通知が異なる指導監査、確認監査、第三者評価の機能を集約化する必要があります。ローカル・ルールを廃し、指導基準を標準化すべきです。保育の質を計測する尺度はECERSのみではありませんし、多様な側面からの評価は必要ですが、少なくとも指導基準はECERSのように、子どもの将来の成果を予測することが確認されているような、妥当性と信頼性の高い指標を用いることが望ましいのではないでしょうか。そうすれば、監査員個人の主観や私見に左右されることなく監査や評価を行うことが出来ます。また、児童福祉法では、指導監査は「都道府県の職員が実施すべき」と規定されていますが、これの見直しも必要です。都道府県の職員の人員不足は短期的に解決することはできませんから、今のままでは年1度の実地検査を安定的に行うことは困難です。しかし、指導基準を標準化しておけば、行政の職員でなくても評価を担当することはできるはずです。
 
第二に、書面監査についても、紙ベースでの提出や管理が原則となっているところをデジタル化する必要があります。これによって、監査事務を自動化、効率化し、行政と保育施設側双方の負担軽減につなげることができます。指導監査や実地検査によって収集された情報やデータをデータベースに蓄積することで、継続的な「モニタリング」を行う体制を整えることもできます。これによって、例えば、離職者数、財務状況、保護者からの苦情の件数等に大きな変化が生じている施設があれば、実地検査の対象となる施設としての優先順位を上げるなどして、早期に問題解決を図ることができるでしょう。
 
第三に、やや中長期的な課題ですが、イギリスにおけるOfsted (Office for Standards in Education)、アメリカにおけるQRIS(Quality Rating and Improvement System)のような行政機関を作る必要があります。これらの組織は、保育の質を定量的に計測し、モニタリングしています。これらの組織が保育の質のモニタリングに用いているものの1つがECERSです。下記の論文 (Sabol et al, 2013, Science)では、アメリカのQRISで計測されている様々な指標が、子どもの成果とどのように相関があるかについても検証を行っています。エビデンスに基づいて、モニタリングの方法を洗練させようとしている点は、わが国も見習うべきところが多くあるように感じます。

 
最後に、私たちの研究グループが、第三者評価の課題について検討した論文が、経済産業研究所(RIETI)から公刊されています。分析の詳細は、ぜひそちらをご覧ください。




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