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「Happiness」と「Joy」の違いと自分の名前のこと




「森の食卓」がこんな場になるといいという想いに、「ここに集まった人たちが、この場に集うことによって穏やかで幸せな気持ちになってもらえたら~そんな場になったら嬉しい」というものがあります。

でも「幸せ」って?大きすぎて、人によっても捉え方が変わってくるように思えます。

よく見るSNSにみんなで笑いながら楽しそうに写っているの図、なんか違和感を持ってみている自分がいます。たぶん嫉妬心が無いと言ったら嘘になると思いますが~幸せそうでいいな~という! でもなんか違う、こういう風景を望んでいるのではない!

1. 「hapiness」と「joy」の違い

そこで、「幸せ」を英語ではどうなのか調べてみると、大きく「hapiness」と「joy」に分けられるようです。

「happiness」と「joy」の違いは諸説あるようですが!

「happiness」は、瞬間的で、自身に与えられたものに対して感じる「幸せ」

「joy」は、永続的で、他者に与えることで得られる「幸せ」

さらに

「happiness」は、外部環境が満たされて得られる「幸せ」

「joy」は、自らの内面から湧き出る「よろこび」が満たされた状態の「幸せ」

外的要因による安心感/満足感のHappinessと、自らの心から湧き出るワクワクや平静を得られてる状態のJoy。

私の求めていたものは、「joy」なのだと分かった瞬間、す~っと気持ちが楽になりました。

今まで「森の食卓」を運営するにあたって、外部環境を良くすることに気を取られていなかっただろうか?

2. 「MISSION JOY  ミッション・ジョイ」のこと

先日、映画「MISSION JOY ミッション・ジョイ」困難な時に幸せを見出す方法、の上映会に行ってきました。

ダライ・ラマ法王とデズモンド・ツツ大主教、二人のノーベル賞受賞者による大笑いの対談の様子を撮ったドキュメンタリー映画です。

笑える映画だよ!と言われて観たらば、涙が出てきた。二人の壮絶な過去、苦難は、私たちに涙を流させるものでした。

それでも、なぜ二人は喜びと共に生きてこられたのか?

映画の中で、compassion コンパッションという言葉が何度も出てきました。

compassionとは、
a strong feeling of sympathy and sadness for the suffering or bad luck of others and a wish to help them:

日本語にすると、思いやり、慈悲、同情、哀れみなどと訳されていますが、「他者の苦しみや不幸に対して同じように心を痛めること」と理解しています。

あれほどの苦難にあってもなぜ二人は喜びと共に生き続けてこられたのか?他者を許すことによって自分たちも喜び、平静を得られたのだと思う。

許すこと、つながること、楽しむこと、希望を持つこと、二人からメッセージをもらいました。

3.私の名前のこと

私の名前は、眞喜子です。眞を喜ぶ子と書きます。

私はクリスチャンホームに生まれた?はずです。生まれてすぐに両親は離婚!父親にはその後一度も会ったことはありません。
私に喜ぶという字を入れて名前を付けてくれたその人は、私に幸せな人生を送って欲しいと願って名前を付けてくれたのでしょう!
今までさほど自分の名前のことを深く考えたこともありませんでした。

今回「幸せ」ということを考えた時、「joy」「喜び」、私の名前には喜びが入っているではないか!と改めて実感しました。

「joy」は、自らの内面から湧き出る「よろこび」が満たされた状態の「幸せ」

「joy」は、永続的で、他者に与えることで得られる「幸せ」

ずっと観たかった「ミッションジョイ」をやっと観ることが出来ました。ミッションジョイは、まさに私に課せられた使命ではないかと思いました。

「森の食卓」を喜びの場にしたい!そして、そこには他者を思いやり、寄り添う「コンパッション」の文字を入れたいと思う。

4.いつも喜んでいなさい

終わりに、私の好きな聖句、ここにも喜びがあります。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。

新約聖書 テサロニケの信徒への手紙一 5章16~18節

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