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七稲地蔵尊祭禮で、金沢の夕涼み

8月16日に、観音院の「四万六千日」に行ってきました。
「四万六千日」については、こちらをどうぞ。

その帰りに、気になる貼り紙を見つけました。
「8月26日午後七時より御詠歌奉納
 七稲地蔵尊祭禮」

もちろん、行ってみましょう。
その前に、七稲地蔵尊まめ知識です。

七稲地蔵尊について 

江戸時代末頃、冷夏や長雨でお米が不作となり、お米の値段が高騰していました。
庶民は窮して、意を決し、二千名が卯辰山へ登り、「腹減った〜、米くれ〜」と金沢城へ向かって叫びました。

卯辰山からは、金沢城がよく見えます。

桜の季節に卯辰山から撮影

これなら、聞こえます。
いわゆる「泣き一揆」は成功し、翌日にはお蔵米が500俵出され、お米の値段も下がりました。

ただ、直に物申すことは許されていなかったため、首謀者7人は捕らえられ亡くなりました。
その7人の霊を供養するため、胸に稲を抱いた七稲地蔵が建立されました。

いつからあるのか分かりませんが、庶民からするとヒーローでも、加賀藩からすると犯罪者。
早い時期に作られていたとすれば、勇気のいる建立です。

この地蔵尊の観音町通りには、江戸時代からのお米屋さんがあります。

もともと、何本か向こうの通りにお米屋さんがたくさん並ぶ通りがあって、そこにありました。ここに移ったのは明治時代です。 

この建物は、明治37年に建てられたもので、金沢の町家らしく軒下に風返しという板があります。
この通りには、他にも建築好きにはたまらない町家が見られます。
まさに観音町の石柱の前のおうちもそうです。

お米屋さんに来ていたお客さんに教えてもらいましたが、本当に古い江戸時代のものは風返しの曲線部分がないそうです。

石柱の家の隣にあるひがし茶屋休憩館の建物が江戸のもので、見てみると曲線のないまっすぐな風返しです。

今はコロナで閉まっていますが、普段はまいどさんという金沢のボランティアガイドの方が常駐していて声をかけると気持ちよく案内してもらえます。

一揆を起こさなくても、お米が手に入ることに感謝しつつ、わたしも石川県産の玄米を買って帰りました。 

1度目は、新米ということを忘れて、お粥気味に炊けました。でも、同じ轍は踏みません。
2度目は美味しく炊けました。


七稲地蔵尊祭禮 御詠歌奉納

8月26日、夕刻に七稲地蔵尊に向かうと、道の向こうに提灯が光っています。

まずはお参りを済ませます。それから、借りても大丈夫だという経本西国三十三御詠歌集を持って、開始を待ちます。

7時になると、始まりました。 

最初に般若心経、その後で西国三十三所御詠歌の奉納が始まります。

西国三十三所御詠歌と金沢

「御詠歌(ごえいか)」とは皇族の詠んだ和歌で、三十三ヶ寺について、10世紀頃に花山院(花山天皇)がつくったのがこの「西国三十三所御詠歌」です。

金沢にも、三十三観音の寺巡りがあります。

寿経寺さんは、第24番札所。その関係で御詠歌奉納が始まったのでないかと思われます。いつから始まったのかは定かではありません。
御詠歌奉納の方が50年前にお寺に来られたときには、すでに歴史ある行事だったそうです。

江戸時代、交通網の発達と恒常的な平和により、お伊勢詣り、西国三十三ヶ所巡りが庶民の間でも広まりはじめました。
でも、北陸からの参拝は他地域と比べて少なかった。

これは、浄土真宗の教義の影響が考えられます。親鸞聖人の説き続けた「一向専念無量寿仏」が教えの本質だとされ、浄土真宗は「一向宗」と呼ばれていました。その意味は、次のようなものです。

他にも諸仏、諸菩薩、諸神の教えがあるが、わたしたちを助ける力があるのは、阿弥陀仏だけだから、阿弥陀仏一仏に向かい、阿弥陀仏一仏を信じなさい 

つまり、阿弥陀仏以外の菩薩や神は捨てなさいという解釈になります。

北陸に多い一向宗の人たちにとっては、天照大御神を祀る伊勢神宮や観音菩薩を祀る西国三十三所へ、大腕を振ってお詣りすることが憚られたのではと推測しました。

でも、行楽がてら、知らないところにも行ってみたい。そこで、金沢の中でならと金沢三十三観音の寺巡りが考案されたのではないでしょうか。

この金沢三十三観音は、1700年前後から始められたものではないかと言われています。

西国三十三御詠歌をはじめて聞きました。木魚をポクポクと一定のリズムで鳴らしながら、詠います。独特の節回しです。

御詠歌集には、音の上げ下げが分かるような印はなく、文言だけが書かれています。
楽天のサイトですが、このような書き方です。

詠うのは難しいのではと思ったけれど、参加者の皆さん唱和しています。

合間に、覚えているんですかとお隣の人にこそっと聞いてみました。覚えているのではなく節回しにも繰り返しがあり、だいたい同じなので分かるのだそうです。

セミの声や虫の声の中、御詠歌が響き、風が吹き抜けていくと、暑さが和らぎます。
最期までいると、夜に9時くらいになるよと教えてもらい、8時頃に浅野川沿いを通って帰りました。

金沢の風流な「夏の夕涼み」となりました。


参考
「金沢三十三観音の寺巡り」
Wikipedia-安政の泣き一揆 
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/安政の泣き一揆

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