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11月朔日、観音院の神事能 

金沢は、能楽で有名です。
能楽堂や能楽美術館もあります。

(左)能楽堂  (右)能楽美術館

加賀藩には、2大神事能と呼ばれる神事能がありました。

1つは、江戸時代から400年以上の歴史を持つ大野湊神社の神事能。今でも毎年5月15日に催されています。
※戦時下、コロナ下では一時的中断もありました。

もう1つは、その存在がかなり忘れられてしまっていますが、観音院の神事能です。今日この日、11月朔日(1日)に催されていました。

江戸時代から250年間にわたり、1度も欠かさずです。
宝暦9年(1759年)3月の大火で観音堂が能舞台まで焼けた時にさえ、その11月に再建し、神事能が開かれています。

観音院の神事能

観音院

金沢では、観音院は、「四万六千日」のお寺として有名です。その日にお参りすると、四万六千日詣でたのと同じ功徳が得られるという観音様の縁日です。

かつて、観音院は「神事能」で有名でした。
神事能は明治2年まで毎年開催されていました。

室町時代に花開いた能楽(明治時代までは猿楽)は、桃山時代には、無類の能好きとして知られた豊臣秀吉ほか大名の庇護を受けます。 

秀吉は、朝鮮出兵後の凱旋披露として、天覧能(天皇の前で能を舞うこと)を行い、そのときに前田利家、徳川家康も参加しています。
※江戸時代に入ると、家康は、能役者に扶持(給料)を与え保護していくこととなります。

利家は、ともに信長の家臣だった頃から秀吉と仲が良く、秀吉が利家邸に訪問し、能が行われていたり、聚楽第(じゅらくだい)でも利家や家康が招かれ能が演ぜられていたりします。
聚楽第は、秀吉が京都に作った自邸兼政庁です。

出典 wikimedia
『聚楽第図屏風』部分
(三井記念美術館所蔵)

秀吉の影響もあり、かぶき者でもあった利家も能に傾倒していました。『菅利家卿語話』には、「お稽古は三日に一度も成され候」とあるくらいです。

この利家の能好きが、加賀藩の能楽隆盛につながっていきました。
観音院の神事能のルーツも前田家です。

能楽は、大名や武士の嗜みとして、先の天覧能などのように演じられていたというと堅苦しい印象も受けます。

しかも「神事能」というと厳かで静かな催しではと思ってしまいます。
でも、観音院の神事能は庶民が楽しめる芸能でした。

この絵図を見ると、武士だけの堅苦しいものでもなく町人もいて賑やかな雰囲気です。

観音院の神事能は、基本的には能の費用は町役(町人の費用)でした。そのため、商業中心地で費用負担の重い本町には桟敷が与えられていました。

絵図に見える提灯の大桜、蓮池の桟敷は料金制で、チケットを買う必要がありましたが、町人の自由に楽しめる能だったことが分かります。

観音院と神事能の始まり

金沢市立玉川図書館蔵
大友文庫 卯辰観音院境内図

今では、観音院は単体のお寺として卯辰山の一角にひっそりと建っています。

江戸時代には、観音堂、山王社、医王院、愛染院、市姫社、能舞台、そして三重塔までがある大きな寺院でした。

観音院のルーツは、山王社です。
金沢城の近くにあり、秀吉を祀った神社でした。いわゆる豊国神社です。

現在、卯辰山にある豊国神社

でも、江戸時代になり家康に気を遣って、山王社と呼び、城中の産土神(うぶすながみ:その土地で生まれた者を生まれてから死ぬまでずっと守る神様)として崇めることとしました。

その後、お城から卯辰山へ移され、本地観音堂が建てられます。産土神なので、前田家の子女も詣でていました。そこで、観音院までの道は江戸時代に整備されます。

江戸時代のままの道幅を保つ観音院への道

観音堂のできた後、11月朔日に、加賀藩第3代藩主前田利常の次男、千勝が宮参りをしたときには、お付きの子供が謡(うたい:能楽のセリフの部分)を謡ってとても喜ばれます。

翌2日、3日この祝いに観音院で町人たちが囃子を催し、翌年から4月1日、2日に能を催すことになりました。

これが、観音院の神事能の始まりで、明治2年まで250年間続いていきます。

神事能が終わってしまったのは、明治元年の神仏分離令の影響です。

明治2年に加賀藩から神祇省へ「卯辰山王の号を除き、豊国神社とし、秀吉を祭神とする」と届けて、本地観音堂を守る小祠だったはずの神社が主になったのです。

観音院前に不思議なスフィンクス風の狛犬を見かけましたが、これももしかすると神仏習合の名残かもしれません。

かわいらしい狛犬?

さて、本地観音堂の十一面観音や仏具は、医王院、愛染院へ移されました。
現在の観音院の建物は、愛染院から引き継いだものです。

今日は、11月1日。観音院の神事能の日です。
能楽堂のあったところは、現在では松魚亭のあたりだと言われていて能舞台はありません。   

(左)松魚亭 
(右)背景に見える浅野川まわりの風景

浅野川の対岸から、観音院を眺めつつ、いつの日か観音院の神事能が再演されたらいいなあと夢想していました。   

浅野川対岸から見る卯辰山


(番外)オテラート金澤2023〜観音院〜

オテラートの旗の立つ観音院

オテラートは、お寺+アート。お寺で、アートの展示が楽しめる金沢の秋の風物詩です。

金沢市内の観音院を含めた卯辰山山麓寺院群、小立野の天徳院、寺町寺院群で9月下旬に開催されました。

今年のテーマは「地獄」。
天徳院の様子はこちら。

観音院の展示の様子も見てみましょう。地獄からの龍の作品。
「地獄というのは、外ではなく人の内にある。見る人に龍から何か感じてもらえれば。」と作家さんは言っていました。

次には、きれいな銀箔を貼ったベースに描かれたハスの花。
地獄は、浄土の存在があってこそ感じられるものなので、という趣旨です。

さらに、文字通り、罪を重ねるという作品。

そして、かつての辛かった日々のメッセージ。

よく見ると、クギが刺さっていてかなり怖いところもあります。でも、反対に光の縁は虹色になっていて救いがあるような。
この作品にも、地獄と浄土を感じました。

お寺で、アートを楽しみつつ、少しだけ仏教にも触れ、自らを顧みる良い機会となりました。
金沢に、秋に来るならオテラート金澤は本当におすすめです。 


参考
「金澤の能樂」 梶井幸代、密田良二著
「稿本金沢市史 寺社編」

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