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金沢と鏡花と旧新町

金沢といえば、しっとり茶屋街。

(上)ひがし茶屋街 (下)にし茶屋街

ひがし茶屋街、にし茶屋街のほか、浅野川沿いには主計町茶屋街もあります。

茶屋建築の並ぶ浅野川沿い

新緑の季節。主計町茶屋街散歩がてら、久しぶりに主計町緑地を訪ねてみました。

主計町緑地

江戸時代の地図を見ると水路がありますが、これは金沢城を守るためのお堀です。

お城の東側にある二重のお堀の内側なので、東内惣構と呼ばれています。

見やすいよう整備された惣構

以前は歩けなかった奥の部分が整備されて、惣構が見やすくなっていました。金沢も日々進化をしています。

主計町茶屋街の中を通り抜けると、階段が見えてきます。

久保市乙剣宮

階段を登るとそこは、久保市乙剣宮が佇んでいます。

久保市乙剣宮

お参りです。
ふと頭上を見上げると、鳥の姿があり吉兆を感じます。

鳥の巣

神社の中には、かわいらしいウサギの彫刻がありました。

金沢の三文豪の1人、泉鏡花(きょうか)にちなんだものです。
鏡花は、明治6年生まれの酉年です。早くに亡くなった母から、向こう干支のものを持つといいと聞き、ウサギのものを集めていました。

この神社は、鏡花の生家の斜め向かいにあたり、子供のときに遊んでいた場所だといいます。    

境内には、歌碑も。

うつくしや鶯あけの明星に

泉鏡花記念館

生家は焼けてしまい、残っていません。跡地は、現在、泉鏡花記念館となっています。

泉鏡花記念館

中にはいると、脇に廊下と坪庭があります。

今はありませんが、以前はここに鳥のおうちがありました。鏡花の家の庭にあったものを模しています。

在りし日の鳥のおうち

先の歌碑の歌でも明け方に鶯の声を聴く感動が詠まれていましたが、鏡花は鳥が好きでした。鳥の出てくる作品「化鳥」や「二、三羽――十二、三羽」もあります。

記念館では、鏡花のウサギを含めた愛用品、初版本、企画展示のほか「化鳥」の映像作品や「春昼」のジオラマが楽しめます。

「春昼」は、山の中での体験、女性、ヘビなどのモチーフが代表作「高野聖」と重なります。
どちらも、鏡花の特徴である妖艶な女性のでてくる幻想的文学です。

晴れた日の神社は、爽やかですが、曇りの日の特に茶屋街へとつながる境内は怪しげな雰囲気があります。
想像力が培われそうです。

神社から茶屋街へ

エントランスで、頭上を見ると不思議な瓢箪状のものがたくさんぶら下がっています。
「高野聖」に登場する蛭が降る森です。

日中でも幻惑的な蛭が降る森

高野聖

分かれ道で、危険だというほうに行ってしまった行商を心配して、主人公の僧がその道へ分け入り、出会うのが多くの蛭です。

木から、ポタポタと落ちてきて、主人公の血を吸います。

その様子や描写は幻影的ですが、もしかするとそれは明治時代後期の現実を表しているのかもしれません。

蛭は、資本主義、人間の欲望のメタファーと取れます。

この恐しい山蛭は神代の古からここに屯をしていて、人の来るのを待ちつけて、永い久しい間にどのくらい何斛かの血を吸うと、そこでこの虫の望が叶う・・・蛭が残らず吸っただけの人間の血を吐出すと、それがために土がとけて山一ツ一面に血と泥との大沼にかわるであろう、それと同時にここに日の光を遮って昼もなお暗い大木が切々に一ツ一ツ蛭になってしまう

「高野聖」泉鏡花

高野聖が出版されたのが、明治33年(1900年)。
日清戦争後、企業や銀行があまた設立されて、物価高騰から不況となっていたからです。

金沢にも少し遅れて影響はあり、明治33年に複数の銀行支店ができ、翌年に支払停止、猶予、不渡が発生しています。  

人間が滅びるのは、地球の薄皮が破れて空から火が降るのでもなければ、大海が押被さるのでもない、飛驒国の樹林が蛭になるのが最初・・・

「高野聖」泉鏡花

とも書かれているので、鏡花も思うところがあったのかもしれません。

主人公は、蛭の森を進み、日が暮れたところで山中の一軒家を見つけ、泊めてもらうこととなります。
そこで、美しい女性と出会い、川の淵で月光のもと蛭で汚れた身体を流してもらい、女性も、と話は進んでいきます。

旧新町

幻想世界から現実世界に戻り、建物を見てみましょう。

記念館は、生家が焼けた跡に建っていた木造の邸宅と土蔵を改修して作られています。 
道路側から見ると、自然な街並みそのものです。

蔵は、元は加賀藩御用菓子森八さんの所有

鏡花の生家の場所は、旧新町にあたります。
そして、この通りの端には新橋があります。江戸時代には、城下町へ入る橋は少なく、新橋はまだありませんでした。

新町は新しく町割りをされた場所で、旧北国街道から一本入った通りにあります。

街道沿いは、江戸時代には北国街道、明治時代には金沢の文明開花の地、大正時代には市電が通りました。

街道沿い

この界隈は尾張町といい、面白い建物が目白押しなので、こちらも建築好きな方におすすめです。

尾張町が手狭になってきたため、新しく作られたのが新町です。

アプリ古今金澤(加筆)

新町は、明治4年に上新町と下新町に分かれています。鏡花の生まれた明治6年には、鏡花の生家のあった場所は下新町です。

神社の前には、実は鏡花の作品から下新町について書かれた標があります。

神社前の下新町の標

次回はこの通りを歩き、江戸から現在までさまざまな時期の町家を巡りましょう。

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