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兼六園とポートランド日本庭園【建物の章】

師走も半ば、いよいよ寒くなってきました。

兼六園では、序章で見たことじ灯籠も、雪帽子姿になる日が近づいています。

雪帽子姿のことじ灯籠

兼六園は、江戸時代に加賀藩主によって作られた大名庭園
ポートランド日本庭園は、日本の高度経済成長期に作られたアメリカの本格的な日本庭園です。

前回見たことじ灯籠の他にも、共通点はいろいろあります。
今回は、兼六園の兼ねる6つの特長の「人力」にあたる建物を見ていきます。

プロムナードにある隈研吾氏の建築
〜見城亭〜

兼六園の前には、茶店が並んでいます。 

ゆらぎの見える正面ガラスのお店

明治時代に兼六園が公園として開放されたときに、多くの茶店が作られました。 

いくつか古い建物ものが残っていて、ガラスを見ると平らでなく凸凹しています。吹きガラス円筒法で作られた明治、大正期のガラスです。

2019年に隈研吾氏によりリニューアルされた建物が、この並びの端にあります。見城亭です。

見城亭

その名前の通り、向かいに金沢城があり、お城を見ることができます。江戸時代に作られた石川門とまわりの流麗な石垣。
春には、見城亭も鏡のように桜を映して華やぎます。

桜の季節には、建物も華やかに彩られる

中は、石垣を眺められるテーブル。モダンだけれど、金沢の伝統工芸である金箔を使った照明。古い梁をそのまま見えるように残した個性的な空間となっています。

伝統的かつモダンな見城亭内部

このあたりは、江戸時代初期には江戸町と呼ばれる場所でした。

徳川家康の孫、珠姫が、加賀藩前田家にお輿入れした際に、2、3百人のお付きの者が軒を並べて住んでいたからです。

その後、第5代加賀藩主が蓮池御殿(れんちごてん)と呼ばれる別荘と蓮池庭をつくったのが兼六園の始まりです。  

金沢市立玉川図書館蔵
蓮池庭図(右部分)


現在の瓢池(ひさごいけ)です。絵図を見ると、滝や灯籠がその頃からあったのがわかります。

紅葉時期の瓢池

蓮池庭は、蓮を植えたから蓮池庭ではありません。兼六園は、金沢城の庭園です。金沢城には、極楽橋があります。
極楽浄土を願っての橋ということは、仏教と関係しています。

極楽橋

金沢城の前身は、一向宗の拠点「尾山御坊」でした。そのため、仏教と関連した蓮が低地に当たる箇所に植えられていて、あたり一体の地名として蓮池(はすいけ)が使われていました。

その地名を借りつつ、お堀を挟んだ場所にあるので、蓮池庭(れんちてい)と音を変え区別していたという説もあります。

出典 国土地理院 
(標準地図に加筆)

11代藩主が竹沢御殿を作り、庭園をさらに改良したときに、松平定信が「兼六園」と命名するまで、蓮池庭が兼六園の名前でした。

〜内橋亭〜

見城亭から瓢池の奥までの道は、約300メートル。

見城亭からのまっすぐな道

なぜこのような場所があったのか?

馬場(馬の調教場)だったからです。茶店の並ぶ真ん中あたりに、「馬場の御亭」という建物もつくられました。

内橋亭です。明治7年に、霞が池に移されています。建物をつなぐ橋が中にあることから、「内橋亭」と呼ばれていました。

霞が池の内橋亭

蓮池御殿は、藩主や家臣の雅宴の場でもあり、接待の場でもありました。
御亭は、詩歌を詠んで、馬を見て楽しんでいた場所です。

〜ポートランド日本庭園〜

奇しくも、ポートランド日本庭園にも隈研吾氏の建物があります。開園50周年を祝し、2017年に庭園リニューアルで作られたものです。

cultural village

後ろには、ポートランドらしい背の高い木が立ち並んでいます。ネイティブアメリカンの世界を彷彿とさせます。
建物の全体的雰囲気は日本的で、連続したガラス窓が見城亭とも似ています。

中は、格子状の部分が多く、並行な線がシャープな印象です。

シャープな印象の内部

木材がふんだんに使われているのは、日本的でもあり、ポートランド的でもあります。
オレゴン州は、アメリカで最大の木材生産州だからです。

門から歩いてくる途中にも、建物があります。

小川の隣にある建物

アメリカにいたせいかフランクロイドライトの落水荘(カウフマン邸)を思い出しました。

フランクロイドライトの落水荘
出典:Wikimedia
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:FallingwaterWright.jpg#mw-jump-to-license

両庭園のお茶室
〜夕顔亭〜

兼六園の始まりとも言える瓢池のそばに、夕顔亭があります。    

夕顔亭

安政3年(1856年)につくられました。
先の蓮池庭図にも載っています。

金沢市立玉川図書館蔵
蓮池庭図(夕顔亭付近)

その頃は、滝見亭と呼ばれていました。滝を見ることのできる建物だからです。

戦国、安土桃山時代のお茶室というと、閉じられた小さな空間で密談がなされるというイメージです。
でも、このお茶室は窓も多く、滝や池を眺めることができるという爽やかな趣向のお茶室です。

窓の多い夕顔亭

明治時代に入ってから、瓢庵または夕顔亭と呼ばれるようになりました。
内部は公開されていませんが、壁に瓢の透彫があり、それが名前の由来だと言われています。

〜ポートランドの華心亭〜

待ち合い、路地から作られています。

華心亭は、ソニーの盛田氏の厚意で寄贈されたものです。
ポートランド日本庭園が、ソニーのラジオ輸出量が鉄鋼を抜き、日本ブームのころにつくられたことを考えると、感慨深いものがあります。

建設費が当時のアメリカで3軒分の住宅価格だったため、当初は賛否両論だったとは言いますが、日本文化を伝えるお茶室がポートランドにあることは日本人としては喜ばしいことです。

華心亭は、忠実に数寄屋造で侘び寂びの感じられるお茶室です。造りも、鉄の釘は使われず、繋ぎにも木が使用されています。
それでも、まわりの緑と光が強く、建物にも反射していてポートランド感が出ています。

瓦屋根にはことじ灯籠のデザインがありました。

ことじ灯籠デザインの瓦

ポートランドには、夏しかいなかったので、冬の様子は分かりません。
でも、ポートランドでも、ことじ灯籠にうっすら雪帽子をかぶる日が近いのかもしれません。

参考
「兼六園の今昔」
「兼六園歳時記」
「ポートランド日本庭園はいかに生まれたか」

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