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節目

8月16日

22年前の今日、私は、一人で
佐賀市役所へ婚姻届を出しに行った。

旦那さんは、仕事だったし
お互いに、一緒に行きたい!という願望も無く
その日付けにも
なんのこだわりも無く
そうしたんだけれど
今、振り返ると、味気なかったな?と、思う。

そもそも
結婚記念日とは?
入籍した日なのか?
結婚式・披露宴の日なのか?

そこも曖昧なまま、22年が経ってしまった。

11月に結婚式・披露宴を控え
前倒しで入籍したのには
理由があってのことで、、、
お察しの通り、である。

4月の始め
桜の咲く頃に
旦那さんと出会い
間も無く交際スタート。

佐賀と長崎の中距離恋愛。

5月のGWには
互いの家族に紹介。

6月には、結納。
(今も、やるの?こういうの?)

7月には佐賀で一緒に
暮らし始めた。

私にとって激動の
2000年のことである。

ミレニアムの渦。

22才の私は
結婚願望は、あったものの
結婚式や披露宴やドレスとか
そういうモノへの憧れは、一切無く
むしろ、家族の手前
やらざるを得ない儀式だと思っていた。

高砂に座って
みんなに注目されて
写真を撮られて、、、
そんなキラキラしたところに
自分は相応しくないと思っていたし
そういう主役!みたいなポジションは
苦手だった。

旦那さんも
そういうスタンスだったから
ある意味、同じ歩調で挑めたことは
救いだったと思う。

でも終わってみれば
やって、いや、やってもらって
良かったんだなっていう実感は、あって
そこも共有できたことは、覚えているし
ゴールだと思っていた結婚が
スタートだと知った瞬間でもあった。

というわけで
新婚旅行にも行ってないし
行かなくてもいいと思っていた。

なんとも
夢も希望も無い花嫁だけれど
ただ、毎日、一緒に居られたら
それで良かったし、ある意味
その頃から、特別な1日よりも
日常の1日を積み重ねていくことに
重心を置いていたのかもしれない。

学生時代、ある人から
「理想の相手って、どんな人?」と
聞かれたことがある。

「言葉にしなくても、私が、考えてることや
思いを汲み取ってくれる人」
私は、そんな風に答えた。

旦那さんが、そういう人だったか?と
問われたら、その時点では
そうでは、無かったと思う。

怒涛の2000年の
駆け足のような展開で
そこまで追い付くはずもない。

それでも
「結婚」という、人生の中でも大きな選択を
22才の若さで決断するだけの「何か」は
あったわけで。

それは、それこそ「なんとなく」としか
言いようがないような
匂いや感覚的なものだったり
言葉にするのは、難しいところでもある。

今、思うと、私がイメージしていた
"理想の相手"は、おそらく
何処を探しても居なかったはずである。

居たとしたら、超能力者?
そういうスペックを兼ね備えた人?

そんな人と出会ってたとしても
私は、惹かれなかっただろうし
怖くて近付けもしなかっただろう。

そもそもの
質問に対しての答えが
答え方が、間違っていたように思う。

「言葉にしなくても、私の考えてることや
思いを汲み取ってくれる」
そこに到達できるまでの過程を共にでき
理解しようと歩み寄ってくれて
受けとめてくれる、その可能性のある人。

本来なら
そう答えるべきだったのかもしれない。

改めて、文字で読み返すと
なんとも一方的で、ワガママだな、と
苦笑いしてしまう。

こちらは、何の努力もしないつもり?

ひどい話である。

ご存知の通り?
私は、自覚があるくらい
沢山の言葉を放ってきているのに
旦那さんに対しては
上手く言葉で伝えられてないことの方が多い。

恥ずかしいから?とか
嫌われたくないから?とか
そういう理由もあったかもしれない。

妻としての顔よりも
母としての顔が大半を占めてしまい
不器用な私は
そのあたりの切り替えがヘタクソで
100か?0か?
みたいな極端なところで
自分を振り分けていた。

言葉にしなくても
分かって欲しいという願望も
あったんだと思う。

それと
厄介な癖も、つきまとっていたから
あえて言わない、ことが多かった。

ワガママで
チグハグで
面倒臭くて
天の邪鬼。

こんな私と
22年も一緒に居てくれてる旦那さんには
尊敬の念しかない。

22年の中で
積み重ねてきたもの
そこを経て
今では
言葉にしなくても
私の考えてることや
思いを汲み取ってくれる場面が
折々に訪れている。

時々
先走ったり
勘違いしたり
こちらは
目が点になることもあるけど
その気持ちは
有難く受けとめている。

そうしないと
バチが当たる・笑

2000年以来の
怒涛の日々、2022年の夏。

今、私の身の回りで起きている
いろんなことは
今だから、訪れたことなんだと
毎日のように感じていて
これまでの日々が
やっぱり
日々の積み重ねが
「シアワセ」そのものなのだと改めて思う。

結婚して10年が経った頃
私たちは
結婚指輪も外した。

そうしても大丈夫で
目に見えない何かが
しっかりあると互いに確信していたからで
それは、その後も、揺るがないものに
なっていると思う、多分、、、

キッカケは
互いに太って
指も苦しくなったから?だったけどね・笑

夫婦の形も距離感も100組100様。

長崎で暮らしてきた22年
佐賀で暮らしてきた22年
とうとう
佐賀に身を置いて暮らしていく日々が
上回っていく2022年の8月16日を
長崎の日々が悪足掻きするかのように
私は一人で
長崎で迎えている。
それも、なるべくして、のことなのだろう。

おそらく
旦那さんは
この日が何の日なのかも
覚えていない。

記念日をお祝いすることも
確かめ合うことからも
早々に撤退して
目の前のことと向き合い
変わらず
日々を積み重ねてきた。

それで、いいのだ。

こんなところで
こんなことを
綴っていることも知らない人に
知らないで居てくれる人に
感謝と愛を込めて。

どうか
バレませんように・笑

日付が変わる前に
書き終えて良かった!

*写真は、、、
義父の17回忌のために帰省する途中で
立ち寄った道の駅で
長女が撮ってくれてたもの。

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