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㊿リア・スタンとの出会い

リア・スタンは、現在私が主力商品としてアクセサリーを扱っているパリのクリエーターです。
その作品のデザインや配色の美しさで
主に欧米・オーストラリア、日本にファンが多く、コレクターズ・アイテムになっています。

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彼女のキャリアは1950年代後半、
夫フェルナンの関わっていた服飾小物、ボタンやベルトのバックル等の制作に参加することから始まりました。

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あるクライアントから
「こんなに美しいボタンを作れるなら是非アクセサリーを制作してみてください。
いや、このボタンは既にアクセサリーですよ!」
と絶賛され、リアとフェルナンはアクセサリー制作に乗り出します。

素材・デザイン、常に試行錯誤を繰り返し、文字通り二人三脚で作品を進化させてきました。

リアのデザインに基づき、フェルナンが素材を選びパーツ作成し、
そのパーツをリアがアクセサリーにするスタイルは今も変わりません。

徐々に評判になり、ヨーロッパのみならずアメリカ、遠く日本にもファンが増えていきます。
1960年代から諸事情で一旦会社を閉じる1981年の作品は、「ヴィンテージ・ヴァージョン」、
ファンの熱い要望で1988年頃から少しずつ制作を再開してからの作品は、「モダン・ヴァージョン」と呼ばれています。

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リアが生まれたのは1936年、フェルナンは1931年生まれ、
時代はアールデコ末期に当たります。
アールデコ・スタイルは彼女たちの日常生活のいたるところに溢れていました。
二人が影響を受け、自分たちの特徴を出すために好んで取り入れたのは想像に難くありません。

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制作初期のボタンにも、
ブローチにも、
エンパイアステート・ビル、セミ、ジョセフィン・ベーカーのイアリング部分等々、
アールデコのモチーフが数多く見られます。

作品の主な素材は、コットンを原材料とするセルロース・アセテートという樹脂です。
布・ラメ・レース等を織り込んだセルロース・アセテートの板状の素材を作り、
幾層にも重ね、各デザインの型で抜いていきます。
アールデコの直線的なデザインは、
彼らの技法には、扱いやすいことから採用した、というのも理由の一つと言えるでしょう。

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私とリア・スタンとの出会いは、まず彼女のブローチが先でした。

起業当時、年に1・2度勉強を兼ねて、
ロンドン郊外のプロアマ問わず訪れることのできるアンティーク・マーケットに
商材を探しに行っていました。

2012年の暮れだったか、
Lというイギリス人女性が自分のブースの片隅でリアのブローチ数点を商品として紹介していました。

目に留まり、彼女に話しかけると、家にはもっと多くのストックがあるとのこと。

翌日、郊外線で最寄り駅まで行き、彼女のコレクションを見せてもらいました。
作品群をみて、その作品の多様性や配色の美しさ、
そしてリアとフェルナンが築いてきたストーリーに商材としての可能性を感じ、
扱うことに決めたのです。

Lはアールデコ愛好家で、自宅の家具や食器など、
洗練された心地よい空間でシンプルに暮らしていました。

当然、仕事にも妥協がなく、好みははっきりとしていて、自分のスタイルを確立していました。

「自分の感性に合うものだけを扱いなさい。それが結局は近道よ」

駅まで車で送ってくれて、その時が彼女と会えた最後になりました。

数か月後、次の買付の日程を押さえようと連絡をすると、
電話口で、重病を患い翌週手術とのこと。
力のない声にひどく心配になり、ロンドンの友人にお見舞いの花束を手配してもらったのですが、
配達不能通知が届き、その後連絡がとれなくなってしまったのです。

Lの自宅で買付けた作品の評判もよく、
リア・スタンを商材として扱っていこうと思い始めていたので、
少なからず気落ちしていました。

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が、これをご縁と言っていいのでしょうか、
その次のパリ出張の際、なんと、直接リアと会えることになったのです。

何気なくLとの経緯を話したフランス人の友人が、
リア夫妻と旧知の中で、その場でリア・スタンに電話をしてくれました。

電話を代わり、自己紹介をし、翌週の約束を取り付けました。
初めてロンドンでリアのブローチを見てから、
1年も経っていないのに、直接本人と仕事をできるようになるとは・・・

この、電話口でリア・スタンと話ができるサプライズが起きた時の気持ちは、今も忘れることができません。

ある日のパリの風景1


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