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35.ウコック高原のミイラに会った。

演奏家にはたまに特典があることがある。
2000年の秋、京都清水寺で33年ぶりに十一面千手観音立象の秘仏が御開帳になった。ちょうどあの清水寺の眺めのいいせり出しの奥に位置する観音様の真裏にある観音様である。ご開帳に合わせて、コンサートが企画され、幸運なことに、ぼくもソロで出演することになった。普段でもたくさんの観光客のいる有名寺であるのだけど、まず京都駅から会場にタクシーで1時間たっても辿り着けない有り様だった。セッティングがあるので、一般入場者より先に入ることができ、並ばずに秘仏を拝観するという恩恵をさずかった。観音様が33の姿に変化するというところから33年毎になっているとのことで、ぼくのパフォーマンスも33のパターンを演じようかと考えてもみた。はたまた、40の様々な手には25の法力があるので、40×25で千手、プラス11個の顔。インド人は数字が好きだったんだということがよくわかるが、「ふにゆーー」「どどどど」「たきゃー」とか即興でしていると、いったいいくつ変化したものか、とても数えきれたものではない。
ステージに立つと、ちょうどお客さんは、パフォーマー越しに千手観音を拝むようなカタチになる。誰が言ったのか、観音様に背を向けて演奏するのはおかしいといちゃもんがついたらしい。ところが企画したIさんは、観音様はどちらを向いてもいらっしゃる、と反論したらしい。
ところで、ウコック高原である。1993年にノヴォシビルスクの考古学者ナタリア・ポロシマク率いる調査隊によって氷に幽閉されたミイラが発見された。「アルタイの王女」「ウコックの王女」と呼ばれるミイラはしばらくノヴォシビルスクの博物館で研究されていたが、モンゴル、カザフスタン、中国と国境を接する地帯であるウコック高原に災いが絶えないのは、王女が連れ去られたからだ、とアルタイ側が強く返還求めてきていた。それで数年前(2012年)にアルタイ共和国の首都ゴルノアルタイスクのアノヒン博物館に返還された。
そのアノヒン博物館で、ぼくはコンサートをすることになった。アルタイの歌手ボロット・バイルシェフ、佐藤正治と一緒である。ボロットが、「アルタイの王女を見せてもらえるはずだ」というので、「これは京都清水寺以来の大特典だ!」と心の中で叫んだ。
コンサートは、博物館の中庭的なホワイエで行われた。ぼくたちだけかと思いきや、アルタイの歌姫5オクターブを操るタンダライや、アルタイのカイチ(伝統歌唱家)の長老であるノホン・シュマロフまで登場。なかなかコンサートが終わらなかった。
博物館は閉館し、時刻もいい時間で、ひょっとしてこのままでは、見れないのかなと思った矢先。いま王女さまに会えますとのこと。ぼくらは神聖な面持ちで、プリンセスの部屋に。厳重に鍵のかけられた奥の扉を開けてくれて、プリンセスと対面した。ぼくは見てはいけないような感覚に襲われていたが、こんなチャンスはないんだといいきかせ、目を開いた。腕にはっきりとわかる入れ墨がある。とても2500年ほど前のものとは思えない保存状態。一説によると埋葬の規模から考えてプリンセスではないかも、との話もあるが、アルタイ人は、彼女を王女と信じ大切にしている。アルタイの英雄叙事詩にオチバラという闇の魍魎と戦った王女の伝説が残っているから、それと重ねたいんだと思う。

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