へんてこなる砂風
町田康に誘われて
熱海の海岸散歩する
因幡の白兎みつけて
海辺の兎に角を語れば
日差しはロバート・ウィルソンばりに
時間を引き延ばし
傍若無人の当て所なき砂の上で
さすらいの楽団も華やかに
海へと向う壮大なスケールを上演する
ふりむきたくも
ふりむけない首の硬さに
ハン・ベニンクのスネアを想う
カモメは初島に向かっている
一陣の風は
へんてこなる砂風を起こす
全世界が羽目を外しているのに
いつものようにごはんの湯気に
ついついほっとするのは
怒りの矛先がハーバーの揺れる帆みたいに
あっちにこう そっちにあーと
うごきまくるからなんだろう
シベリアは遠くなった
アルハンゲリスクにもカムチャツカにも
もう行けないのだろうか
トゥバのチルギルチン(蜃気楼)は
1800キロを旅してウランバートルに着いた
モンゴルを西から東に横断したのだ
ユーラシアを渡るには風になるしかない
太平洋を感じるには鯨になるしかない
シベリアの古代信仰テングリは
青空の崇拝だ
高天原と通底しているのかもしれない
へんてこなる砂風が幕間を告げる
熱海銀座には洒落た昭和の店がある
そのひとつボンネットの珈琲は深く甘い
イタリアでエスプレッソ飲んだときに知ったのだが
薄いものは単に苦くて濃いものはうまみがある
これが脳にしみわたる
濃淡は適切である必要がある
温度は適温である必要がある
あちちやぬるまゆでは神話は生まれない
南ロシアはクリミアの近く
オリンピック開催の町
そして温泉の町ソチСочиから
熱海にツツジが植樹されたのは
姉妹都市を希望した50年ほど前
あの時はまだソ連邦だった
社会主義恐怖症のようなものか
怯える市長と議会はお話を蹴った
それでもツツジは咲いている
へんてこなる砂風の中で
さて「ひみつの本屋」がこの辺りにあった
小さく狭い本屋の錠前はずっしりと重い
ひみつはいくらで借りれるか
ひみつはいつまでまもれるか
ひみつはどこまでつづくのか
ひみつはあくまでたてまえか
ケチャップだらけのナポリタンの向こう
サンレモ号の波飛沫が心を千切っていく
へんてこなる砂風がぐるぐるとうづをまいている
巻上公一 2024 現代詩手帖に発表したものです。
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