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私の「生きにくさ」: 食べることについて

四月も過ぎ去ろうとしている今日この頃、この文章を読まれている皆さまはお元気でしょうか。

私は進級しただけで、新生活というほどの環境の変化はありませんが、それでも目新しいことはたくさんありました。

インターン先の社会人の方が言うには、社会人になると季節の変化を感じにくい、とか。

学生の間の特権なのでしょうか。

よく考えれば、四月になれば必ず学年やらクラスやら取る授業やらが異なり、新しい人と出会うというのは学校という場の特殊性なのかもしれませんね。

もちろん、大きい会社ならば新入社員が、とか部署移動が、とかあるのかもしれませんが。

社会人はどうなのか、じつはあんまり分かっていません。

もしもご教授いただける方がいたら、どうぞよろしくお願いします。

これ、読んでくれる方がいるか分かりませんけれども。

生きにくさについて

さて、引っ込み思案かつ臆病な私は四月というものが少し苦手です。

特に、大学生になってからはいつもびくびくしながら過ごしている気がします。

というのも、私は人と話すのが苦手、というよりその「場」が苦手なのです。

新しい人と仲良くなる、という「場」は大抵の場合食事により構成されるのではないでしょうか。

少なくとも、「ご飯食べに行こう」は主流な誘い文句な気がします。

私は人と食事をすることが得意ではありません。

そもそも、外食というもの自体が苦手です。

お店の環境自体が苦手なこともあります。

地下だと、とか人の熱気や厨房の熱気でむんむんしてると、とか照明が暗いと、とか苦手ポイントはそこそこあります。

一年前には、どういう環境が苦手なのかもあまり分からないほど、とにかく苦手でした。

それから、食事の量も外食に苦手意識を持つ要因の一つです。

私は小食です。

お店で出てくる一人前が食べきれないほど多い、なんてことはしょっちゅうです。

出てきた瞬間にあ、多いかも……と思うと、鼓動が早まってしまうことが多いです。

その時点でおなかがいっぱいになったような、そんな気分になることもあります。

食べるものにもよります。
本格的な外国料理はあまり食べたことがないので胃がびっくりしてしまう、とか。
油っぽいものが苦手、とか。

それは食べてきたものに寄る気がします。

でも、避けずに食べ続ければ、もしかしたら胃も慣れるのかもしれません。

私はそんなもろもろが合わさって、一人での食事でも、複数人での食事でも、必ず食事中に一回はお手洗いにいくはめになります。

とにかく気持ち悪くなってしまうし、おなかがはちきれそうになってしまう。
これ、いつか治るのかなあ……。

そんな私ですが、いつもいつも食事の誘いを断るわけではありません。

親しい友達と食事をしてみると、なんとなく見えてくるものもあります。

テラスとか、外だと少し気分がまし。

飲み物だけにすれば、おなかはすくけど鼓動がはやくなったりはしません。

イタリアンや和食だと比較的食べられる。

こんな感じです。

最後のイタリアンは、家族でよくサイゼリヤなんかに行って外食をしていたからかなあ、なんて思います。
和食は家庭での食事の影響ですね。
父が新潟出身なこともあり、お米を食べることが多かったし、付随して焼き魚やみそ汁も好きだからでしょう。

そう考えると、食べられる料理の幅は、果敢に挑戦していくことでしか増えないような気もします。

食事の「場」の重要性

食事の場が苦手だからといって、避け続けることが得策ではない、ということに気づいたのは、恥ずかしながら一年前です。

大学生になってから、高校時代の友人と「遊ぶ」となると、必ず「ごはんどうしようか」という問いが絡んできたからです。

あるいは、大学の中でも、人と共にいると昼休みを共有することになります。

幸い、大学の友人はお弁当を持ってきているため、学食という人が多く熱気でむんむんした空間に行く必要はなかったのですが。

現代社会において、人と共に時間を過ごすとなると、例えば会社・学校という場において長い休憩時間は「昼休み」しかないような気がします。

先日、インターン先の方々とお昼ご飯を共にしましたが、そこで初めてお互いのことを知れました。
仕事中は私語は慎むため、当然ながら仕事外でしか話す機会がないわけですが、帰宅時を別にすれば(そしてその時刻がバラバラであれば)、話せる機会は昼休みに限られます。

そして、人は昼に食事をとる。
そもそも昼休みというのは、食事をとるための長い休憩なわけです。

お昼ごはんを一緒に食べる、ということの重要さは計り知れません。

それから、私は居酒屋の空気が本当に苦手なため、飲み会は参加したことがありませんが、飲みというのも大人の人付き合いの一種だ、という認識があります。

お酒は人の気を解放させる、というのも飲みにおいて重要なのでしょうか。

飲みでなくとも、夜の食事は、昼ごはん以上に親密性を感じさせるような気がします。

プライベートの時間をお互いに共有している、という意識によるものなのではないかと個人的には思います。

古代ギリシャ人の議論は食事の場だったとも言いますし、食事というのは古来から人と人が向き合う上で重要な「場」を形成してきたのでしょう。

おそらく。

いったいどうしたらええのんという話

食事の重要性は承知の上で、しかし、苦手なものは苦手なわけです。

食事に気がとられて人の話にも集中できません。

でも、色々な人の話を聞きたいのです。

それに、食事は生きる上でとても大事な行為。

おいしいものを食べることが幸せだという人もたくさんいます。

人生を楽しむうえで、食事はとても大事。

人と食事を共にすることも、社会生活を送るうえで欠かせません。

そんなわけで、自分に出来ること、の幅を広げる一環として「外食をする」、なんて目標を掲げることに決めました。

生きにくさが身を食い殺す前に、飼いならしてやらねば。

おいしく食べきれる「場」が増えるということはきっと幸せだと信じて。

そして何より、食べ物に対する敬意を十分に払えるように。









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