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ぴちょんくんに捧ぐ偏愛

 はじめて物語を書いたときの記憶といえば、私が幼稚園の頃に当時大好きだったダイキンエアコンの宣伝キャラクター「ぴちょんくん」の絵と、まだ覚えたばかりのひらがなを使って、紙芝居的な物語を作ったことである。その頃はまだ長い文章も書けなかったため紙芝居一枚につき書ける文章も二文字くらいで、使った道具も黒一色のボールペンとコピー用紙の裏紙だけという簡素な作りが定番だったが、母や母の友達に見せるとみんな「このページどういうこと?」などと言いながら興味津々で読んでくれて、それが恥ずかしくも非常に嬉しい体験だったことを今でも鮮明に覚えている。
 ところでみなさんは「ぴちょんくん」というキャラクターをご存知だろうか。
 「ぴちょんくん」とは二〇〇〇年に生まれたキャラクターで、雫型の顔に無表情な目玉と口がくっついている。まるで覇気が感じられないその外見から受ける印象通り、何事にも受け身な性格で、決め台詞は「も~ど~にでもして~」。若干年代が上の方が想像する、悪い意味での「ゆとり世代」そのままみたいなキャラクターである。
 幼少期の私はどういうわけかこの愛嬌に乏しく、取り立てて面白いストーリーや目を引く設定などもないキャラクターをアンパンマンなどよりも遥かに熱愛しており、ぴちょんくんの絵が描かれたチラシを見つけたときには必ず専用のボックスに入れて大切に保管し、度々見返してはひとり静かにぴちょんくんへの愛を深めていた。
 しかし数枚のチラシに描かれた小さな絵やたった数ページの冊子を毎日眺めていれば、流石に飽きてくる。もっとぴちょんくんの絵をたくさん見たい。できればぴちょんくんに関するお話がほしい。私が自ら創作に踏み出すのは自然な流れだった。
 しかし当時の私がぴちょんくんに向ける愛情はだいぶキモかった。というか変な拗らせかたをしていた。なぜそう断言できるかといえば、その頃の私が書いた物語の大半は「ぴちょんくんが熱を出した結果干からびて孤独死する話」というような、齢四~五つの子にしては妙に「癖」を感じさせるような歪んだものばかりだったからだ。
 紙芝居自体は全部で四枚ほどの至ってシンプルな構成で、たとえば一枚目。ぴちょんくんが自宅にいる絵。続いて二枚目。突如発熱し倒れるぴちょんくん。三枚目。白い紙いっぱいにでっかく描かれる救急車。そして四枚目。墓地。終わり。
 え、終わり⁉ と思われることだろうが、これで終わりである。しかも私の「ぴちょんくん物語」連作はどれも一話完結読み切りスタイルなので続編はない。
 ではなぜ愛する者を殺すのか、という質問に関しては「さあ……殺したかったから……?」という薄ボンヤリした殺意でしかお答えできないので受け付けていない。
 そしてさらにこの紙には覚えたてのひらがなで書いた文が入るのだが、それはどれも「ねる」「ねつ」などの状況説明だけを表す簡潔なものである。そして最後の墓のシーンではなんとその説明すらない。これはただ単にこのシーンに対応する言葉が思いつかなかっただけだと思われるが、それによって妙に余韻が残る後味となっている。
 この「墓」を描いて終わるというやり口は私の創作では結構よくある手法(?)なのだが、どの話にも共通している特徴としては、毎回描かれるのは墓のみで、葬儀のシーンでみんなが泣く、とか知人が墓に手を合わせにくる、とかそういう人との関わりはほとんど描かれていない、という点である。もちろん死んだ者が幽霊になって親しい人に会いにいく、とかそういうことも一切ない。死んだら死んだではい終わり、という幼稚園生が抱くにしては些かドライすぎる死生観が表れている。
 しかし当時の私はこの「ぴちょんくん物語」をことのほか気に入り、定期的にまた新たな「ぴちょんくん物語」(もれなく毎回ぴちょんくんが死ぬ)をしたためては、自作の紙芝居専用のプラスチックケースにせっせとしまいこみ、ぴちょんくんが描かれた例のチラシや冊子と共に時々ひっそりと読み返して自分一人で楽しんでいた。
 たしかこの「ぴちょんくん物語」連作は、小学校二年生くらいのときに読み返して「昔の私、何描いてるんだ~!」と恥ずかしくなってしまい、半分以上ゴミ箱に捨ててしまったと思うし、残った半分も今はもうどこにあるかわからない。あの時に描いた物語の内容も、例の第一作目以外ほとんど忘れてしまった。
 でもあの時の、自分が読みたいもののためだけに描く創作はめちゃくちゃ楽しかったな……と、あの頃の創作に対する初期衝動は今でもたまに思い出し、その度に「あの頃にはもう戻れないんだ」というほろ苦いノスタルジーを一人噛み締めている。
 あの時、私に物語を作らせてくれてありがとう。こうして無事(?)大人になった私は、今年で生誕二十四周年を迎えるぴちょんくんに心からのお礼と、ダイキン工業株式会社様に向かって、地べたに額を擦り付けて深く謝罪を申し上げる所存である。

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