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小声コラム#6 まかせたよ

よく喋る人が心底うらやましい。
思ったことをなんでも喋れたら、なんて幸せなことなんだろう。

よく喋る人とは脳の仕組みが違うのだろうかと思うほど(実際にちがうのだろうと思う)、僕はしゃべることが得意ではない。

話したいことはあるのだけれど、それを話そうとすると頭の中にノイズが走る。
この話し方で伝わるのか、いま言い方は変じゃなかったか、準備してきた話みたいに聞こえないか、オチをつけてひと笑いくらいは起こせるのだろうか、など
ノイズがものすごい勢いで入るせいで、自分で自分の話がわからなくなることが多々ある。
おかげさまでよく噛むし、言葉につまるし、途中で思い出せなくなったりする。
僕はその度にそういうのが嫌になる。

書いていて思ったのは、
やっぱりどう思われたいかを気にしているんだということ。
でも話なんて相手ありきのことであるから、相手に向けて工夫する必要はあるはずだ。気にしすぎということだろうか。

もうひとつは熱量だろう。
どうしても聞いてほしいこと、話したくて仕方がないこと、話が止まらないくらい語りたいこと、そういう類のものを持ち合わせていない。
いや、厳密にはあるのだろうが、そういうものを表に出したいと思えない。なぜなら熱がこもることほど上手く話せる自信がない。


だから僕はずっと書いているんだろうなとも思った。
もう10年近く日記にそういう話したいことを書き記している。
話したいことは、自分に聞いてもらっているという状態なのかもしれない。
つい昨日の日記でも、読み返すと自分とは違う誰かような違和感をもつことがある。話したかったことを自分に話すと、その瞬間にひとりの自分が役目を終える、そんな気がする。

とはいえ昨日どころではなく、26年前から自分は自分だ(たぶん)。
たくさんの話したかったことが詰まっている自分だ。
詰め込んで詰め込んで、いよいよ詰め込みきれなくなって外に向けて書き始めたのが最新版の自分なんだなきっと。

今日の僕が、まかせてくれ!と高らかに言えたらいいなと思う一方で、それは自分らしさなのかと疑いもする面倒な人間が、今日のボクだ。
だから、あとはまかせた!といって役目を終えるくらいがちょうどいい。

また何が言いたかったのかわからなくなったよ。
ごめんね、まかせたよ明日の自分。

おやすみ


#6 まかせたよ

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