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「母性」と「理性」の戦いの話

先日1歳双子の子を持つ男友達と飲んだ。子育てどう?と聞いたところ、休日は予定入れないようにしているけど、平日は今までどおりの生活とのこと。(まあ平日に私と深夜まで飲んでる時点でお察し・・・)育児は専業主婦の奥さんがヘロヘロになりながら、ワンオペで日々担っているのだそう。

双子の育児、しかもダンナ様の協力が平日ほぼなしというのは修羅場だろうなあと、他人事ながら同情する。
ただ一点解せないのは、彼の奥さんは一時保育利用も家事外注利用も拒否しているのだそう。理由としては

・他人を家に入れるのが嫌
・子どもを知らない人に預けるのは怖い

の2点。ああ「母性」だなあと私は思う。

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妊娠して、自分自身から、そして友人達の話を通して気づいたことがある。どうも女性というのは「子」にエネルギーを注ぎたいという本能的な欲求がある。私自身、産後2か月復帰をするにあたり、保育園に入れると決めたはずなのに、自宅で仕事するんだから手元においてもいいのではという気持ちが時折頭をよぎる。ベビーグッズも手あたり次第に買いたくてたまらなくなるし、今からいつか読み聞かせするための絵本を見繕いたい衝動に駆られるくらい。

一方で、「理性」が私に問いかける。それ本当に必要?と。

そしてたいていの場合、答えはNO。新生児期なんて一瞬だ。すぐに着られなくなる服にお金をかけるのは無駄だし、絵本だって近隣に図書館があるんだから借りればいい。仕事だって、私が勤めているのは外資系の小さな会社。産後今までどおりのパフォーマンスを発揮できなければ、すぐに代替要員のリクルーティングをされてしまう。「理性」で考えれば答えは明らかなのに、気が付くと「母性」が「理性」の邪魔をする。

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育児サイトをみていると、子育て中のお母さん達の悲痛な叫びを目にする。それは主に、育児に非協力的な夫への不満。何故自分ばっかり、という思いは、特に共働きのご家庭だと多いんだろうなあと感じる。
ただその「不満」の中身を紐といていくと、お母さんの「こう育てたい」がいくぶんToo Muchなことが少なくない。忙しい時はコンビニごはんでよいだろうし、お風呂も忙しい日は絞ったタオルでさっと子の体を拭いておしまい、なんて手抜きする方法もある。どうしても自分がしんどいなら、そんな折り合いをつけてもいい。
ただ自分自身を顧みるに、恐らく「母性」がそれを拒否している。ちゃんと手をかけてやりたいのだ。だから限られたリソースでやりくりするのではなくて、「子にこうしてやりたい」ということを、自分のリソース最大限と、そして夫のリソースを最大限利用してなしえたくなるのだと思う。

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双子育児中の男友達の奥さんの気持ちを考える。飲みにいったりしないで、仕事が終わったら早く帰り、一緒に育児をして欲しいというのが恐らく彼女の切な願い。私の「母性」は完全同意。早く帰ってあげればいいのに、と一緒に飲みながらも、そんなことを思う。
一方私の「理性」は、彼の性格的に「仕事」と「子育て」で1日が消費されるのは耐えられないと思っている。「休日は家族のために」が彼のできる限界だと思っていて、だから彼の奥さんが少しでも楽をするためには、家事外注とベビーシッターの利用以外にないのになと思う。(バリキャリな彼は平均的なサラリーマンの二倍くらいの収入があるから、費用的な心配はない)

「子育て」のややこしい一面はここにある。「母性」と「理性」の戦いだ。限られたリソースでできることをやればいいのに、それをよしとできない母心。

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