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私が母になれた理由

「女性」といっても、子どもを産み、そして育てることを、人生においてなしえたいマイルストンにおく人とそうじゃない人とがいる。私は小さい頃から後者だった。

私にとって子どもを産む、ということは、実母のような「母」になることだった。母はいわゆるバリキャリ指向だったにも関わらず2回の流産をきっかけに専業主婦になり、その後3人の子どもを育てることになった。子の習い事の送り迎えに忙殺される母がいちばん生き生きしていたのはYWCAや教会の仕事といった社会と繋がる行為をしている時で、それでも決して不平不満を抱えている素振りはなく、自分の「母」としての生き方を潔く受け入れているように私には映った。
母は「母」として完璧に振舞った。子どもの模範になろうという気持ちからか、たとえ父から理不尽なことを言われたとして、それを感情的に言い返すことはなく、極めて冷静に対処し、それは私をはじめとした子どもたちが我儘を言う時も同様だった。

そんな「母」のイメージを持ったまま私は24歳でいちどめの結婚をし、36歳の時に離婚した。「子を持ちたい」と考える前夫がイメージしていたのは、まさに実母のような家庭に軸足を置く生き方をする「母」で、私にはそんな「母」になる自信がいつまでたっても持てなかった。だから離婚すると決まった時に思ったのは、これで「母」になる必要がなくなったということ。それは残念な気持ちも多少あれど、ほっともした。

ところが離婚後、いろんな人と交流しているうちに、子どもを産んでも、私が思っていた「母」とは違う母たちのことを知った。育児に軸足を置かない生き方と言うんだろうか、時短で働くどころか、繁忙期は、パートナー・ベビーシッター・もしくは22時まで預けられる認可外保育所をフル活用。仕事以外の時間も確保し、彼女たちは子どもをパートナーに任せ、私と飲みに行くこともしばしばあった。そんな彼女たちをみていると、ああこんな「母」もありなんだなあとカルチャーショックを受け、そして今のパートナーがそんな「母」達を否定するどころかむしろ肯定していることを知り、ああ、この人となら子育てできるのになあと残念に思った(当時、彼はしばらく子を持つ気がないスタンスだった)

それからしばらく経ち、予想外のことがおきて、妊娠した。

最初は茫然として、だけど最終的に思ったことといえば「産みたい」だった。それは離婚した後に出会った今のパートナーや友人達、またそのほかさまざまな出来事によって「母」というもののイメージがずいぶんと変わり、子どもを産む=実母のような「母」にならなくていい、と思えたことが大きかった。

***

先日の夜、子の寝かしつけの最中、私が先に眠くなってしまった。子がそんな私を揺り動かして「水が飲みたい」「体がかゆい」など色々いうので、ついつい「もうひとりでやりなよ」と冷たく突き放すように言い、子どもを泣かせてしまった。
あまりにもその泣き方は悲しそうで、肩を震わせ泣いていて、とてもあせった。そして慌てて自分の不機嫌を謝りながら、私はずいぶんと実母と違うなあと思った。子どもを持ちながら働いて、飲みにも行って、ひとりの時間を持っている。子どものまえで完璧などころか、めったにないこととはいえ、不機嫌で子を泣かせてしまい、ひたすら謝っている。

実母のような「母」になること、それが私が長年憂鬱に感じ、「母」になりたくない理由だった。それからすっかり自由になった私は、子どもを育てることをとても楽しく、そして嬉しく思っている。


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