見出し画像

2021/7/30 海辺の大きな一軒家と都心の小さなマンションと

1泊2日で千葉の館山に行った。娘が海に行きたいと言っているから、が大義名分なものの、いちばん「海」を欲していたのは私だったと思う。好き好んで都会のど真ん中に住んでいるものの、時折自然が無性に恋しくなる。そしてできれば、「山」より「海」がいい。

「海」の概念が変わったのは、フィリピンのエルニドにある「ミニロック」に行ってからのことだ。マニラの空港から小型飛行機で1時間半、そこから更にボートで40分かけてたどりつく小さな島はまさに「秘境」で、ただただ自然を愛でる贅沢を知った。景色と波音で自分が浄化されていく感覚が新鮮で、その後毎年南の島でのバカンスを楽しむことを励みに働くような、そんな日々を送ることになった。
「リラックス」にあまり魅力を感じない今の彼と付き合うようになってからは、すっかりご無沙汰な、そんな「海」の旅だったのだけど。

たかだか1泊2日の旅、しかも新宿からバスで1.5時間でたどりついた先にしては、思いのほかゆっくりできた。特に明け方、朝日を感じながら、波音を聞きながらお風呂でのんびりしたのは、1時間弱の時間の使い方としては最高のコスパ。そしてまた都会のど真ん中に戻り、見知らぬ人で溢れる都会のカフェでそんな時間を思い返して、懐かしく思う。

画像1

海の暮らしに魅入られて、キャリアや、時には家族を捨てて自然と共に暮らす人がいる。自分がそうならないのは、池澤夏樹の「夏の朝の成層圏」という小説で、自然と同化して暮らした先のことを疑似体験したからだと思っている。

船の取材中に海に投げ出され、無人島と思われた島にサバイブした主人公は自給自足の暮らしを続けながら、助けを待つ。なのにいざ助かっても彼はしばらく生活を変えない判断をする。文明の生活を享受する、その島に別荘を持っていた隣人の傍ら、しばらく自給自足の生活を続ける。そしてそれは自給自足の生活に今までにない充足感があるからだ、と考える。
それは何となくわかる気がする。時折写真集で目にする、自給自足の生活を続ける人たちの顔はいつも誇り高い。生きるために働くこと以上にシンプルで満ち足りた生活はないようにも思う。

ただ主人公はそんな満ち足りた日々と最終的に決別する決断を知る。それはそれだけだと、少なくとも主人公は満ち足りない、と判断したからだ。そんな魅力が「都会」にはある。そしていちど「都会」を知ると、そこから離れられない人間がいる。

海辺のゴージャスな一軒家で一生を過ごすのと、都心の小さなマンションで一生を過ごすのと。自分はどっちのタイプの人間か?を見極めるのに、この本を読むことをお勧めしたい。

前者ならいつか移住した方がいいし、後者なら今よりもっと、都会の生活を楽しめる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?