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「お涙ちょうだい」が感動を増幅させるということ

先日、誘っていただき「ベー・チェチョル」というテノール歌手のコンサートに行ってきた。ベー・チェチョルとは韓国のオペラ歌手。「100年に1人の声を持つ男」と言われ、各種声楽コンクールで入賞、一時はヨーロッパの劇場と契約するほどの名声を得た。そして2005年、甲状腺がんで声を失った。

「声」を商売にしている人が「声」を失う苦しみは、その事実だけでものすごく胸を締め付けられるものだ。つんくが声を失った時も、私は他人事ながらものすごくショックを受けた。

幸い、ベー・チェチョルには奇跡が起きた。日本の医師が施した声帯機能開腹手術によって、劇的に声帯が回復したのだ。そんな彼の感動秘話は「ザ・テノール 真実の物語」という映画になっている。

コンサートではベー・チェチョルが手術後、初めて人前で歌った時のドキュメンタリーの一部もあわせて放映された。人前で、といっても、教会で10数人の信者を前に、賛美歌を歌う程度のものだ。ただ、歌うと決意するまであっただろう葛藤、自分が再び歌っているという驚き、思うように声が出ないことのいらだち、そして、前と同じようにとはいかなくても、それでも「歌っている」ということに対する圧倒的な幸福感。そんなありとあらゆる感情が短い映像の中に複雑に絡み合ってそして溢れてきて、私は涙が止まらなかった。

その映像をみた後に聞く彼の歌声は、本当によかった。正直高音に若干の不安定さがあった。ただ、一時期は声を失った人がここまで回復したという驚きと、そして苦しみを乗り越えた先にこんな幸福な続きがあったということに、私はものすごく心を揺さぶられた。

このようなエピソードを「お涙ちょうだい」と嫌う人がいる。コンテンツはコンテンツ単体で判断されるべき、そんな考え方もある。ただ私は彼のことを知った上で、彼の声を聞いてよかった。彼の歌は、素晴らしかった。そして彼の人生はそれを増幅させた。それは彼の音楽にとって魅力でしかなく、観客にとっても幸福なことだ、そう思う。

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