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鴨長明「方丈記」(1212)/ 比較して得る幸せ

彼と私は違うところが多くあるのだけど、そのうちのひとつが「比較」の頻度だと思う。私は昔から自分の状態を何かと比較する傾向があって、彼にはあまりそれがない。

「比較」の悪い点は自分でもよく分かっている。それはまず比べられた方が非常に嫌な気分がするし、「比較」で得る幸せは別の優位性を持つ他者によって簡単に脅かされる。

「比較」するような人間がチームにいると、チームは常に競争を強いられているような、居心地の悪いものになる。「比較」は他者に対する敬意が足りていない。元アメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトも

"Comparison is the thief of joy(比較は幸せを奪う)”

そんな言葉を残している。比べるなら過去の自分であって、他者ではない、条件も環境も違うから、そもそも比べることに意味はない。

そんな「比較」の悪い点を今まで十二分見聞きし実感してきた私なのだけど、やっぱり比較してしまう、そして幸せの拠り所にしてしまうと実感したのが新井満さんによる「鴨長明『方丈記」』自由訳」を読んだ時のことだ。

私にとって「方丈記」がつくづく印象深いのは「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」という、あの有名な出だしの部分ではなく、冒頭に記録されている大火事に竜巻に混迷する政治、飢饉、大地震、と相次ぐ平安末期の天災の描写による。

火元は、樋口小路と富小路が交わる四つ角のあたりであったらしい。(中略)火事場から遠く離れたあたりでも、人々は吹きつけてくる煙にのどをつまらせて苦しんだ。まして火事場に近いあたりでは、空中から火焔が吹きつけてきて、地面を焼きくした。

新井満「鴨長明『方丈記』自由訳」

大火事があってから三年後、(中略)このたびは平安京の東北、中御門京極のあたりから、大きな竜巻が起こって、六条大路のあたりまで吹き進んでいった。(中略)このたびのような大被害をもたらしたもたらした竜巻など、私は聞いたことがない。

新井満「鴨長明『方丈記』自由訳」

今年こそ良い年になるだろう。いや、きっと良い年になってほしいと、大いに期待したのだが、世の中は良くなるどころか、かえって悪くなってしまった。飢饉の上に疫病までは加わり、大流行となったからたまらない。世の中の混乱状態は、もはや収拾がつかないくらいひどくなってしまった。

新井満「鴨長明『方丈記』自由訳」

養和の大飢饉から、さほどたたない頃のことであった。今度はすさまじい地震が起きた。(中略)家の中にいたら、建物の下敷きになって死んでしまう。かと言って外に走り出たら、地面の割れ目に呑み込まれ、やはり死んでしまう。(中略)世の中で、何が一番怖いか・・。それは地震以外のなにものでもないと、私は心底から思い知らされたのだった。

新井満「鴨長明『方丈記』自由訳」

方丈記と己の戦争体験を重ねたエッセイ「方丈記私記」の著者、堀田善衛さんが「方丈記」を特別に思っているのは、その描写が堀田さんが第二次世界大戦で実際に体験したことと重なったからだった。

しかし、一種の真空状態がそこにあった、とはいうものの、見上げて、明らかに本郷よりは東、本所深川のあたりが中心と見取られる巨大な火焔地帯を望見しては、やはり、その火にまき込まれている人々のことを思わぬわけにはいかないのだ。(中略)
そういうときに真っ赤な夜空に、閃くようにして私の脳裏に浮んで来た一つのことばが、

火の光に映じて、あまねく紅なる中に、風に堪へず、吹き切られたる焔、飛ぶが如くして一二町を越えつつ、移りゆく。その中の人、現し心あらむや。

という(筆者注:方丈記の)ものだった。

堀田善衛「方丈記私記」

どうも鴨長明は誇張していたのではなく、確かにその光景をみたらしい、というのが堀田善衛さんの感じたこと。そんなひどい時代を私のご先祖様が乗り越えて、今の私がいる、というのが、ひとつの奇跡なように感じる。かなり分かりやすい訳で方丈記を読んで、その思いはますます強くなった。

その晩、子をやっとの思いで歯磨きさせ、思うように自分の時間がとれなかったこと、その上子を寝かせるのが遅くなったなあと反省しながらも、自分の幸せを噛み締めるのは、やはり鴨長明の経験した時代と比べ、自分は何て生きやすい時代に生まれたのだろう、という感慨が大きい。自分が既に持っている幸せの大きさにで目を見張る。

これは私にとってすごく大事な感覚。なかなかそれを手放すことができないし、一生手放すことがないのかもしれない、そんな風に思っている。


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