2021/7/17 風化する本しない本
子の習い事で手こずった後、子連れランチするも、そこまでお薦めではないお店で気分はダウン~が、週末恒例になっているリンパマッサージで元気をやや取り戻す。
むくみやすい性質というのもあるけど、定期的にリンパを流しているおかげでふくらはぎの形が昔よりぐっとよくなった。なお「リンパを流す」というのは医学的には根拠がない行為、というのをガチ理系の彼には散々言われており、ただ、だとしたらリンパ節にそってオイルマッサージをしていると、ごりっとしている箇所が次第になくなる現象はいったい何なのか?
まあ見た目がよくなったのは事実だし満足感も高いのでよしとする・・・!
この日は昔大ベストセラーになり、私も熱心に読んだロバート・フルガムの1986年に出版されたエッセイ「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」を読んだ。新書版も出ていて、新たに付け足された内容も多い。が、どうも内容が陳腐化されているように思った。
何でもみんなで分けあうこと。
ずるをしないこと。
人をぶたないこと。
使ったものは必ずもとのところに戻すこと。
ちらかしたら自分で後片付けをすること。
人のものに手を出さないこと。
誰かを傷つけたら、ごめんなさい、と言うこと。
食事の前には手を洗うこと。
トイレに行ったらちゃんと水を流すこと。
焼きたてのクッキーと冷たいミルクは体にいい。
釣り合いの取れた生活をすること―毎日、少し勉強し、少し考え、少し絵を描き、歌い、踊り、遊び、そして少し働くこと。
ロバート・フルガム「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」
たとえば「何でもみんなで分け合うこと。」の箇所、インターネットの出現で見えない他者が可視化され「みんな」の範囲がとてつもなく広がり、自分の信条と相いれない人々の存在が明らかになった。だからそんな世の中では「自分」をまず大切にしようという考えが主流で、となると今の時代の文脈としては「時に何でもみんなでわけあわなくてもいいこと。」の方がしっくりくるように思う。
同じ時代に書かれた沢木耕太郎の「深夜特急」の本はまだまだ現役で、相変わらずあの本に影響されて、10代20代の人たちがバックパックで旅行をするきっかけになっている。この間読んだ1950年代に書かれた内田百閒「阿房列車」も向田邦子のエッセイも、今回感じたような違和感はなかった。
時代を越えてもサバイブするエッセイというのは、もっと個人の心象と密接に結びついている。一方世の中の空気感を切り取ってそれをただそのまま言葉にすると、どうも時代の前提が変わった際に違和感があるのかもしれない。
「時に何でもみんなでわけあわなくてもいいこと。」も、後10年くらいたったら陳腐な考えになっているのかも?コルクラボ時代に散々叩き込まれた「自分と向き合う」は言葉をサバイブさせるためにも大事なことなんだろう、そんなことを思う。
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