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2021/9/29 10万円あったら何に使う?と理想の大人の話

チームビルディングのアクティビティのひとつに、お題を決めてみんなで答え合う、というのがある。そんな時、無難で、かつ回答で人となりが分かる、使い勝手のよいお題のひとつに「10万円あったら何に使いますか?」があるのだけど、まさにそんなシチュエーションがやってきた。
諸事情で12月中に10万円を使うことになった。貯金はNG、何かモノを買う、というのもだめ、家族と過ごす時間のために、一気に使う。

その話を聞いた時に、私の頭に浮かんだのは伊勢志摩、沖縄や北海道への旅行だったものの、それは普段でもすることだしと彼の気が乗らない。
そのかわり、彼から出てきたのはヘリの遊覧飛行だった。こんな機会でもなければ乗らないし、というのは確かにそうで、それで今日の夕飯後はずっとヘリ遊覧について調べていた。
どうせ乗るなら移動したい、と箱根に行くようなプランを調べたら、それだと10万円では全然足りずに笑ってしまった。10万円使えるなら何に?なんて問いをアクティビティとして考えた時は、贅沢し放題、そう思ったのに。
数時間考えた結果、私の趣味のクラシックホテルめぐり、子が楽しめるアンパンマンミュージアムと組み合わせ、横浜でヘリに乗ることにした。ヘリのプラン、なるべく安く、その分をホテルとディナーに回したく、と、内訳はまだまだ調整中なのだけど。

さて、ここ1週間、仕事が引き続き忙しかったものの先週に比べて本を読む時間は確保できて、その時間、一心不乱に読んだのが加藤周一「夕陽妄語Ⅱ」。朝日新聞で長年連載されていた随筆集で今回は1991年から2000年までの分。

この本はなかなか難解で、というのも、著者の見識が広すぎる。
いちばん印象に残った「回春記」という章は、まずイタリアの19世紀の作家、ピランデッロの小説の話から始まり、そこからアルプスの街の美術館でみた日本の禅宗美術の話になる。展示されていた雪舟の絵画「慧可断臂図」に思いを馳せ、雪舟の晩年に抱えていただろう思いや「慧可断臂図」に描かれた達磨と慧可の逸話について、など、とにかく鮮やかに思考が飛ぶ。

出てくる単語を調べながら読んでいたら、2500字足らずを理解するのに1時間以上かかった。それでも加藤周一さんが感じて、そして考えたことの全容に、ついていけたかは謎。

もし私を悲観的でなくするものがあるとすれば、それは丘を降る静かな道と、春の午後の太陽だけであるかもしれない。
私は美術館のなかで再見した一休宗純の詩軸を想い浮べた。一休と彼の晩年の恋人森女の肖像を上下に配した軸の賛に、「花前一曲万年春」という。「一曲」とは「盲女ノ艶歌」である。しかし必ずしも「盲女ノ艶歌」をまつまでもない。『狂雲集』が讃美する「淵明ノ吟境」は、一片の雲、一本の草のなかに全宇宙を見る。要するに人生の幸福はその「吟境」を超えないのであろう。
加藤周一「夕陽妄語Ⅱ」

たとえばこの箇所、一休宗純の書いた「狂雲集」がよく分からないので「淵明ノ吟境」をきちんと理解できたかに自信がなく、だから加藤周一さんが感じた丘を降る静かな道や春の午後の太陽の中に見出した幸福、についても少しぼんやりとした印象しか持てていない。

それでも強く感じるのは、加藤周一さんのように、たとえば人生の幸福について考えてみたいということ。見聞きしてきた作品について深く考え、それと自分の感性をリンクさせ、世の中を俯瞰してみる。私はこれがやりたい、と自分のやりたいことの解像度があがった。

文章がうまくなりたい、と思っていたけど、もっと作品を読み込みたいし、それについて考えたい。そして自分が感じることに目を配り、世界にある普遍性について考えてみたい。
要は考える濃度なんだよなあ、と、理想の大人の文章を読んで自分の浅さをしみじみ感じた夜だった。

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