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アガサ・クリスティ『春にして君を離れ』(1944)/加害性と向き合う

毎月参加している読書サークルでアガサ・クリスティの『春にして君を離れ』を読んだ。この本、10年前くらいに読んだ時は「いい話」という印象だったのに、再読したらいい話どころか、人が死なないホラー。
配偶者と子どもの人生を自分のもののように口出しをし続け、また周囲の人と表面的には仲良くしつつ、心の中では蔑んで生きている妙齢の女性、ジョーン。そんな彼女が思いがけないトラブルで砂漠に足止めされた時、自分が夫からも子どもからも愛想をつかされている事実と向き合うことになる。ずっと、長い間、見ない振りをしていただけの、夫と子どもとの哀しい関係。

このストーリーを読んだ後「ああそういう人いるよね」と、自分をコントロールしようとしていた相手を思い出す人と、自分の中にあるジョーン的性質にぎょっとする人と2タイプいるように思う。私は後者で、ああ、ジョーンのように他人をコントロールするような発言や行動をしたな、と、過去の出来事が頭に浮かび、そしてそれを客観的に書かれると、こんな嫌な女になるんだと、何だかとてもいたたまれない気持ちになった。

読書会があった翌日、自分の中にある加害性について考えた。たとえば以前、転職相談を受けていた時のこと。私は相手の挑戦を「無謀」と思い、相談されるたびにコントロールするような言い方で否定した。「無謀」と思いながらも転職活動に伴走したのは、いつか考え直してくれるかも、という思いだったけど、相手からしたらだったら協力するなんて言うなよ、と内心思われていたかもしれない。

とはいえ、自分の加害性に気づいた今この瞬間に同じことを相談されても、どうも同じ考えを持つ。きっと自分の見立てが間違っていて、相手にはきっと可能性がある、その気持ちに伴走しようと、今でもどうも思えない。
思うことは変えられない。だから私にとっての加害しない解決策とは、この気持ちをスッパリいうことなのかなあと思った。

「私はその転職活動は難しいと思う。サポートできない」

その一言が言えたなら。その後の思い返すとげっそりするような、自分の加害性が存分に発揮されたやりとりを省くことができたのかなあ、なんて。

そういえば昔、真摯だと思っていた人が、顔見知り相手の頼み事を無視する場面に遭遇した。同じコミュニティの、大学生の悩み事相談。その人の選んだ答えは既読無視。

その人は同じ相談を受けた私に「よく知らない相手の相談に乗ることはしない」と後ではっきりと言い、当時はそのスタンスに「表と裏の顔があるな・・・」なんて思っていたけど、私のように中途半端に相談に乗るよりはよっぽど「真摯」と言えるのかもしれない。

とここまで考えても、面と向かって異を唱えるのは苦手だなと思う。願わくば今のように、自分の加害性を刺激しないような相手と一緒にいることを選ぶというのが、私がいちばん目指したい未来なのだった。

一冊の本からこんなにも考えることがあるなんて、と、久々に読書の有用性を感じさせてくれる一冊だった。


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